【出来た、出来ないの境い目】
以前、空手に打ち込んでいた時のこと、
全国でも名をはせた先輩に
「屈強な相手の攻撃を受けて痛くないですか?」
と初心者ならではの質問をした時に返ってきた答えは
「えー??痛いわけないでしょう!」
「だってお前、痛いと痛くないの境い目ってどこにあるのよ?」
でした笑
当時この言葉に衝撃を受けると同時に、妙に納得させられた記憶があります。
昨日の練習会を振り返っていた時、久しぶりにその先輩の言葉を思い出しました。
氣功やエネルギーワークを行う時、
「自分には出来ていない、出来ない」
と思い込む方が一定数います。
私の妻は女性向けのカウンセリング、コーチングをしていますが、そのクライアントさんにもそういった方がいらっしゃいますし、
私自身が元々はそういったタイプなので気持ちはとても良く分かります。
私は「氣の感覚」というのを理解、実感するまでに30年ほどかかりました笑
私の場合原因は、
「他人と比較し、自分の感じたことを否定していた」
からでした。
他人の言う感覚通りに感じることが出来ない自分を「出来てない」と思い込んでいたんですね。
営業など数値で目標が表される場合、「出来た」「出来ない」の境い目って明確ですが、
氣功や瞑想など意識に関わるものって、「出来た」「出来てない」の境い目ってどこにあるのでしょう?
実は氣功では「出来てない」ということはあり得ないのです。
昨日は時間の関係上出来なかったですが、源(創造主)に繋がってみましょう、と言われた場合、
「やり方を教わらないと出来ない」
と思うのが一般的ですが、実は
「源に繋がる」
と意図しただけで、何%かは「出来ている」んです。
何故なら私たちの深い意識では源(創造主)のことを知っているから。
やり方は教わらなくても、そう意図するだけで実は「出来ている」ですね。
ではやり方を教わるとどう違うのかというと、
「より明確に、自信と実感をもって繋がることができる」
ということなんです。
つまりやり方を知る事によって、自信がつくと同時に
「出来ないという思い込み」
を払拭することができるんですね。
よく言われる例えで
コップに半分水が入っているのをみて
「半分しかない」
と思うのか、それとも
「半分もある」
と思うのか。
どっちを見るかはその人の「自由」です。
こちらでも度々お話するのですが
「+(プラス)に意識を向け、拡大する」
というのも重要な練習の一つです。
日々の些細な幸せに注目して、それを存分に味わう。
そうすると自分の内がどんどん満たされて、それが波動となって周囲に伝わり、良い現実を引き寄せるようになります。
氣功の成果は薄皮を一枚一枚重ねていくようなものとも表現されまる。
氣功や意識のことを習得したいと思った時は、特に最初の内は
・成果に拘らず
・ただ淡々と取り組む
ことが一番の近道となります。
(継続は力なり)
ただ、私のやっている氣功って、地味なんですよね…笑
半年ほど毎日淡々と続けて
「こんなに成長できてる!」
と実感することが出来れば、その後の継続も容易なのですが。
継続するには「楽しさ」を見つけることが必要だな、と感じます。
その点、ハッピーさんという方が提唱しているモメットという、ダンスのような覚醒法は、楽しく出来て良さそうだと思いました。
最近妻もそれに取り組んでいて、それを傍らでみているだけなのですが、
背骨の気脈を開発したり、
左右脳統合のクロスクロール
を取り入れたりして、なかなか理にかなっているな、と感じました。
地味な呼吸法や気脈開発に向き合うのが苦手な人は、こういうのもいいかも、と思った次第です。
では、長くなってしまいましたがこの辺で。
今日も良い一日をお過ごしください!^^




