フラワーオブライフという図形があります。
フラワーオブライフは神聖幾何学といわれる模様の一つであり、
大きな二重の円の中に19個の円が重なってできています。
一つの円を中心に6つの円が重なっているので六角形がイメージされます。
フラワーオブライフは調和のとれた生命の本質を表す図形とされています。
フラワーオブライフには六角形の他にも様々な要素(神聖幾何学)が組み合わされているのが特徴です。
2つの円が重なった図形。万物の始まりを意味すると言われる。
7つの円が重なって出来た図形。神が創造した7日間を表すと言われる。
シードオブライフにさらに6つの円を重ねた図形。生命の始まりを表すと言われる。
フラワーオブライフの中心に位置する10のポイントからなる図形。生命の象徴とされる。
調和のとれた生命を表す。
フラワーオブライフの二重の円をなくし、さらに円(女性性を象徴)を展開していくとできる図形。未来の可能性を表すと言われる。
フルーツーオブライフに直線(男性性を象徴)を書き足してできる図形。
こうしてみると、万物の始まりを象徴するヴェシカパイシスから始まり、
段階に応じて発展していく姿を感じることができます。
まるで一つの生命が細胞分裂を繰り返して、より大きな一つの生命を創り上げる過程を表しているようですね。
その中の一つであるフラワーオブライフは、小さな生命が集まり大きな生命を形成する「調和のとれた生命」を表す図形と言われるとしっくりきます。
すべてのバランスを整える力
調和がとれていく結果、魂の本質に目覚めていくことになります。
魂の本質に目覚めるということは自分軸で生きることでもあります。
浄化、魔除け
要は不自然な状態を自然な状態に戻す、ということだと思われます。
フラワーオブライフの効果を得るには、フラワーオブライフを意識すればOKです。
そのために、フラワーオブライフの模様を眺めたり、シールなどをよく目にする場所に貼るのが効果的です。
オススメは自分で書いてみることです。
(書いている間はずっとフラワーオブライフを集中して意識することになる)
コンパスと紙があればカンタンに書くことができます。
私も子供の頃よく書いていたのを思い出しました。
神聖幾何学の効果を引き出すために大切だと思うポイントを書いておきます。
多くの方は「神聖幾何学そのものに力がある」と思いがちですが、
そうではなく「自分に備わっている力が図形によって引き出される」のが本質です。
外から力が与えられるのではなく、内にある力が神聖幾何学により引き出されるのです。
これはあらゆるパワーグッズについて言えることです。
視点を変えると「自分の力を引き出す力が(神聖幾何学に)ある」とも言えるのですが、
変化を与えるのはあくまで自分の意識であることを認識しましょう。
逆に言うと、どんなにスゴイ!と言われるパワーグッズであったとしても
自分の意識が変わらなければ(=自分と合わない)、変化することはありません。
一つ、神聖幾何学を感じる時にポイントとなるのは「立体」の視点です。
図形は2Dですが、本来は3Dで表すのが本質に近いと思われます。
このことに気づいてから「3Dで表す神聖幾何学(フラワーオブライフ)はないか?」と探してみたらこんなのがありました。
ただこれだと私が想像したものとしては不完全です。
円を球で表現した立体図形が理想なのです・・・(>_<)
でも、明確なイメージが必要なのではなく「意図する」ことが重要なので。
このように神聖幾何学をイメージする時は「立体として意識する」のは重要なポイントになると思います。
フラワーオブライフは生命の本質を表す神聖幾何学ですから、
いろんな視点で捉えることで様々な気づきが得られます。
私の解釈となりますが、人との関係性を表していると思う捉え方があります。
自分軸という生き方を取り入れる上で参考になると思うので紹介します。
フラワーオブライフの始まりはヴェシカパイシスという神聖幾何学です。
この一つの円が一人の人間を表しているとします。
2つの円があるので2人の人間を表しています。
2つの円をよくみると重なっている部分と重なっていない部分があります。
これが表すところは、
人は他人のある程度は理解できるけども理解できないところもある
ということだと思います。
「私はあの人の全てを知っている」ということはあり得ない、ということです。
これは自分軸で行動するときに非常に重要な考え方だと思うのです。
人はある時に他人からのアドバイスに依存しようとします。
特に占いや鑑定が好きな人、振り回される傾向のある人によくみられます。
ただそのアドバイスに全幅の信頼を寄せてはいけないのです。
何故ならそのアドバイスや鑑定をするその人は自分の一部は理解している(かもしれない)けども、決してすべてを理解している訳ではないからです。
自分の全てを知らない人が自分にしたアドバイスなんて的を得ている訳がありません。
自分のすべてを理解しているのは自分以外にはいないのです。
だから自分にアドバイスできる人は自分しかいないし、その責任をとれるのも自分しかいません。
あらゆる決断は自分でするしかないのです。
他人からアドバイスをもらうのがいけない訳ではなく、
それに振り回されることなく、自分で咀嚼して、自分がしっくりくる部分だけを取り入れる。
またはそのアドバイスを自分の全責任のもと受け入れる。
これが自分軸で生きるということであり、
それが出来るようになると自分の本当の人生を生きられるようになると思うのです。
(占いや鑑定はあくまで参考資料として、あるいはエンタメとして楽しむために利用しましょう☆)
逆に、自分が他人にアドバイスを求められた時は相手の全てを知っている訳ではないという謙虚さが大切になります。
それがお互いに依存しない、それぞれが自分軸で生きるきっかけになると思うのです。
その人には私の知らない深い事情があって悩んでいる。
ただその人には自分で悩みを解決できる力があるはず。
その人が自分で解決できるきっかけをつくってあげたい。
そんな謙虚な心をもって接することがお互いに依存しない関係をつくる上では大切だと思うのです。
(↑書きながら自分で自分にグサグサきている(笑))
これは一例ですが、
フラワーオブライフを眺めているとそんな気づきがいろいろ湧いてきます。
得られる気づきは人それぞれ。
あなたも日常に神聖幾何学を取り入れて、
人生をランクアップしてみてはいかがでしょうか?(^^♪
探したのですが中々良いのが見つからなかったので、
いっそ自分で作ってしまいました。
フラワーオブライフの瞑想用マットです。
サイズは120㎝✕120㎝と50㎝✕50㎝の2種類
(画像は120✕120)
ウォールマットとしても使用できます。
50㎝✕50㎝はこんな感じ
私は120サイズを瞑想用マットとして、
50サイズは就寝前、起床時に目につきやすいようベッドの足元の壁に貼っています。
心身のバランスがとれるのを感じています(^^
他の方からのご要望もいただき、
下記より購入できるようにしました。
よろしければご利用ください。
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スピリチュアルに興味のある人なら「自分軸」と「他人軸」って耳にしたことがあると思います。
「自分軸」とは、自分の感性に従い、自分の信じることを表現し行動していくこと、
逆に「他人軸」とは、他人の考え、主張に盲目的に従うこと、
こんな感じの意味かな思います。
「他人軸」を分かりやすい例で言うと、最近話題になった
「ママ友に洗脳されて愛する我が子を餓死させてしまった事件」
が思い起こされます。
この事件では「洗脳」という言葉が目立ちますが、私的には、何かがおかしい、と薄々気づきながらも
自分の思いを否定し、他人の言いなりになったしまったが故の悲劇だと思ってしまいます。
自分の思いを押し殺して、
「他人の言いなりになる」
「他人が言った通りに行動する」
これが他人軸の生き方です。
一方「自分軸」で思い浮かぶのは、これまた最近話題になった、
両親がある宗教の信者の子として生まれた、いわゆる「二世信者」の方の記者会見。
この方は幼少期から宗教の思想にどっぷりと浸かり生きてきましたが、
自分のやりたい事もできずに宗教に生活のすべてを捧げる生活に、
「こんなのおかしい」
と、我慢の限界がきたかのように気づいたそうです。
それ以降は宗教から抜け出そうとしない(その気がない)両親とは縁を切り、
理解のある男性と知り合い結婚されています。
(その宗教では恋愛は「悪魔的な行い」として禁止されているそうです笑)
会見では、直前に宗教団体と両親から
「精神を病んでいるため会見を中止するよう通知が届く」
というショッキングな場面がありますが、
気丈に自分の思いを世間に訴える姿勢が印象的です。
(それを支える旦那様にも感動します)
「他人軸」の生き方は、
他人に自分の人生を委ね、自分で決断することをしない生き方です。
その結果、
自分の行った行為に後悔することが多く、失敗を他人のせいにしがちです。
そして「他人軸」の生き方をしている人の特徴は「思考が優位」であること。
自分のハートの底から湧き上がってくる思い(感情)を思考で押さえつける必要があるので、どうしても「思考優位」になってしまいます。
これは率直に「疲れる生き方」と言えます。
一方、
自分の感性に従い「自分軸」で生きることができる人は、
「全て自分の責任」という覚悟があるので後悔することはありません。
「自分の人生は自分で切り開いていく」
という信念の元にすべて決断していく強さを持っていますし、
そのような人は輝いてみえるので周りからも一目置かれる存在になります。
また共感する人が集まってくるので、
周囲からのサポートも受けやすく物事がスムーズに進むようになります。
自分の思い(感情)を素直に出すことができるので、
感情と思考のぶつかり合いがなく、ストレスも少ないのが特徴です。
かく言う私も、昔はどっぷりと「他人軸」の生き方に染まっていました。
あるカルト宗教に盲信し、そこの教祖が言う言葉に盲信的に従っていました。
(だって「疑うな!信じろ!出ないと運命が崩壊する」って脅すから。。。(笑))
その結果、二度と関わりたくないと思うほどの状況に陥り、
そこでようやく「これじゃダメなんだ」と気づくことができました。
最後に残ったのは「後悔」の2文字。
「あそこで気づいていれば。。。」
「あの時に辞めていれば。。。」
という思いが強く残り、しばらくはその体験の意味付けをすべく彷徨っていました。
しかしそんな体験を経たことで
「これからは自分の感性に従って生きる」
と決めることができて、自分の人生を取り戻すことができました。
(たかい授業料ですね(笑))
ここまで読んでもしかすると
「自分軸って、結局強い人だからできるんじゃない?」
「私にはそんな強さないから無理だよ!」
と思われる方もいるかもしれません。
ただ「自分軸で生きる」のって意外とカンタンなんです。
カンタンというか「楽」なんですよね。
その「楽さ」に如何に気づくか、なんです。
もう一つ、私の体験ですが
以前の私は仕事で失敗した時に、それがバレないように取り繕うことを一生懸命にしていた時期がありました。
それはもう完璧な工作です笑
失敗が明らかになるあらゆる可能性を想像し、自分のプライドが傷つかないように完璧に「取り繕う」。
そんなことをしていると、叱られて落ち込むことは回避できますが、
そのことに使う労力や「バレたらどうしよう」という恐怖心、そして失敗を隠すことの罪悪感。
これって相当疲れるんですよね。
そこに気づいて素直に「ゴメンナサイ」が出来るようになった時、
失敗した時に「失敗しました!」と上司に報告出来るようになった時、
「なんだ、こっちの方が楽じゃん!」
って気づいたんです。
そこに気づいた時、「もう後戻りすることはできない」と思いました。
この例とおなじように、
今どっぷりと「他人軸」で生きているとしても、
自分軸でいることの「楽さ」に気づくきっかけがあればカンタンに自分軸に移行できるのです。
そのきっかけをどう作るのか?
「必要なのはほんの少しの勇気だけ」
というのは私の尊敬する鈴木啓介さんの言葉です(^^♪
私は今もなお「他人軸」と「自分軸」の間にいますが、
それでも大分「自分軸」寄りになってきたな~と思います。(お蔭様です<(_ _)>)
今の私は、
占い(=他人の意見)に影響されることはなくなりました。
(占いを楽しむことはあっても、それに引っ張られることはない)
過去に対する後悔の気持ちがなくなりました。
(自分軸を取り戻した結果、カルト宗教の後悔すらも「あの時はあれで一生懸命だった」と納得することができた。←今の自分に納得しているから)
他人に搾取されることがなくなりました。
(感情も物理的なエネルギーも、自分のために使うことができるように。「私はこう思う」と言えるようになりストレス激減)
他にも細かいことは多々ありますが、一言
「ビクビクする毎日から伸び伸びとした毎日へ」
これが自分軸を取り戻した結果かな~と思います。
さて、ここにきてようやく今日の記事の本題です笑
実は、自分軸はスタートに過ぎません。
自分軸の生き方が出来るようになって、ようやく「自分の人生」がスタートするのです。
そこが始まりなのです。
でもご安心ください。
自分軸を取り戻し自分の人生をスタートさせたあなたは、これからポジティブしかありません。
ただ、「自分軸」はゴールではないというだけです。
その先には「より良くなっていく」選択肢があります。
その選択肢とは「自分を広げていく」ということ。
例えば、
自分という存在が文字通り自分一人だけだった場合、
自分軸で得られる喜びはそれ相応になります。(それでも素晴らしいことですが)
しかし、自分という存在を拡大していくと、
その喜びも大きくなっていくのです。
「自分を拡大していく」とはどういうことでしょう?
分かりやすい例でいうと「家族」。
家族は他人でありながら自分事として捉える人は多いと思います。
特に我が子に対しては自分以上に自分事と捉える人もいるでしょう。
この場合は「家族=自分」ということが言えると思います。
このように、自分という枠をどんどんと拡大していくのです。
家族⇒親戚⇒隣人⇒地域⇒日本⇒世界、、、
人だけではなく、
ペット⇒犬や猫⇒植物⇒生き物全般⇒物質や存在全般
最後の方は自分と同じように考えるのは少し無理があるかもしれませんが(笑)
要するに、
自分と他人の境界線を取り払い、自分を拡大していくのが自分軸の次のステップです。
そうすることで、
本当の意味で他人(=自分)を愛することができるようになり、
他人(=自分)へ思いやりをもって接することができるようになり、
みんなが助け合う社会に繋がる、
と思うのです。
戦争だってなくなるはず。
(みんなが自分軸を取り戻してそれを広げていけば)
私たちがこれから向かう先は「統合」の世界です。
分離された境界線だらけの世界から、一つの統合された世界へ
自分軸というのはその為の最初のステップに過ぎません。
しかし自分軸で生きる、というのは最初のステップとして
自分の中の統合が完了した、と言うことでもあります。
自分軸のその先へ、
私も自分を広げていくことを日々目指していこうと思います(^^♪
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※この記事で説明していることは筆者(なんまる)が感覚的に捉えていることであり、医学的、科学的な根拠の明示は難しい場合があります。
・いろんな説明があるが、何が正しい、間違っているではなく、その人がその概念をどう捉えているか。ここでは私なりの捉え方を説明している。
・大切なのはその概念が実在するのかどうかではない。大切なのは疑いようのないレベルまでそれを自分の世界に強固に創り上げること。そうすることでその概念のパワーを使うことができるようになる。(自分=創造主だと心の底から思うことができれば、創造主の力を使うことができる)
私たちの世界は突き詰めると2つの概念で成り立っていると言われる。
「正と反」「陽と陰」「+と-」
「男、女」「高い、低い」「有、無」・・・
この2つの概念をベースにこの世界は創造されているが、
この2つの概念を超えた先にある概念、2つの相反するものを包括する概念、全ての元となる概念のことが、昔から様々な宗教で言われていた。
天(天なる父)、光明、道(タオ)、源、創造主、ワンネス、無、空、、、
知識不足のためこれくらいしか挙げられないが、もっとあるに違いない。
様々な呼名があるが、全て同じものを指していると私は思っている。
少し難しい話になるが、その概念に名称をつけた途端にそれは正しくない表記になる。
例えばその概念を「天」と呼んだ瞬間、同時に「天ではないもの」という概念が生まれてしまうからだ。
全ての元となる概念は「〇〇」と同時に「〇〇ではないもの」も含んだ概念なのである。
しかし名前をつけないと私たちはそれを認識することができないから、便宜上、上記のような名称をつけていると思われる。
このような理由から、上記以外では英語で「It(それ)」と呼ばれることもある。
このような概念(に至る考え方)のことを「ノンデュアリティ」と呼んだりもする。
デュアリティ(duality)とは、「対立する2つの部分に分類すること」であるから、
ノンデュアリティとは2つに分類する前の状態のことを指す。
上記の宗教ではこの「全ての元となる概念」と一つになることを究極の目的としているようにも思える。
そのために様々な神秘行と言われるものが受け継がれてきた。
それが仙道であり、ヨガ、密教、禅、瞑想、、、はたまた
一部の心理学、錬金術、魔術(東洋、西洋)、あらゆるエネルギーワーク、、、
全てが「全ての元となる概念」の意識状態に至るために生まれてきたといっても過言ではない。
そもそもそのような概念は肉体次元のレベルでは認識できない概念なので、
本来人間の思考では知覚するのは不可能なのである。
そのため「(我々を縛っている)思考の影響から抜けるために」上記のような行が用いられてきたのである。
しかしこの概念のレベルまで意識が到達した数少ない先人たちは、
この世のあらゆる柵から自由になり、中には肉体に縛られることからも自由になって、
真の自由に到達することが出来たと言われている。
この記事では「全ての元となる概念」のことを以降「天」と呼ぶことにする。
(私が一番しっくりくるのが理由です。読む方の感性に合わせて自由に読み替えてください。)
すごく乱暴な言い方をすると、
人間の脳を分類したときに、外側にある大脳新皮質が思考を司っている部分と言える。
大脳新皮質の内部にある中脳、小脳、間脳(下垂体、視床下部など)の部分は「思考をすることのない部位」であり、「無を司っている部分」と言える。
これらの部分の活性化と大脳新皮質の沈静化にその概念に至るヒントがあるように思う。
統合ワークとは、「自分が抱える分離意識を統合する」ことを目的としたエネルギー(イメージ)ワークです。
自分が感じたマイナスの周波数(不安や恐怖など)を捉え「天」に還すことで、意識を「天」へ近づけていきます。
(分離意識はマイナスの周波数そのもの)
手放しや感情解放ワークも同様のことを行います。
「天」と意識的に繋がることで、統合ワークや感情解放ワークの効果を飛躍的に高めることができます。
浄化・浄霊も「天」に繋がると簡単に行うことができます。
(ただし効果は自分がどれだけ強くしっかり繋がっているかによる)
仙道では不成仏霊や地縛霊といったものも、邪気(マイナスエネルギー)の一つとして扱います。
自身のもつ怒りや恐怖といったマイナス感情と本質的には変わることはありません。
つまり不成仏霊や地縛霊という存在に対しても、上記で説明した統合ワークができるということです。
マイナスエネルギーを「天」に還すことが浄化浄霊と同義になります。
「天」という概念と繋がることは、直観力を開発することにもなります。
「天」は「全ての元」であり「創造主」でありますから、全ての情報も「天」にあります。
このような認識に至れば「天」に繋がることで必要な情報を得ることが可能です。
例えば、
・明日の天気がしりたい
・今日の面接の結果は?
・私の天職は?
・明日はどんな一日になる
などなど。本当に知りたいものは何でも構いません。
(ただし必要のない情報(成長の妨げとなる情報)は降りてこないこともあります)
この時の注意点は、やはり「思考(思い込み)」です。
直感という形で降りてきた情報も、自分の思考、思い込みが都合のよいように歪めてしまうのです。
この場合、情報を受けとっても自分の中で正しいインスピレーションとはなりません。
元々私たちは創造主の存在そのものです。不可能なことは何一つありません。
そのような真実を疑うことをしなくなれば、その力を使うことができます。
ただ「疑うことをしない」というのは本当に難しいのです。
疑いの気持ちを排除するために「理論」「理屈」は役にたちます。
私にはじめ「天」の概念を教えてくださった師匠は、こう言ってました。
「神社仏閣の神仏にお願い事をすると、依頼された神仏は「天」にいって、そこで願い事を叶えてくれるんだよ」
今の私の解釈では、「神仏」も「天」も「自分の内に在るもの」なので、結局
自分の内に在る神様、仏様が天という概念を使って願い事を叶える(=イメージを具現化する)
ということだと捉えています。
要するに私たち自身が天の概念を利用することでイメージを具現化することができるのです。
具現化のスピードは、私たちがどれだけ天との繋がりが強いかで変わってきます。
「自分=天」ということを素直に受け入れているか
抵抗(疑い)を手放せているか
「自分=天」ということを確信していればしているほどに、すぐに現実が変わる様になります。
「自分軸」という言葉がありますが、天と繋がることを繰り返していると、自分軸がブレることなくしっかりしてきます。
天とは全て、であるので、自分とは全てであり、自分の内に全てがある、ということが実感として分かるようになるのです。
そうすると自分の外側に意識を向ける必要が無くなってきます。
有名な霊能者や占い師に自分のことを何か言われたとしても
「へ~、そうなんだ。あなたにはそう視えているんだね。」
とあまり意に介さなくなります。
誤解のないよう伝えると、「わがままになる」「我が強くなる」ということではありません。
「自分や身の回りに起こる事象は全て自分が創造したものだ」と言う感覚になります。
身の回りに起こる全てのことを自分の責任として受け入れることができるようになります。
そうなると他人の所為にし批判することがなくなります(謙虚になる)。
他人の言動など、自分の外側に責任を求める他人軸の生き方は、
「自分の人生を他人に委ねる」ということを自分で創造していることでもあります。
それでは自分でより良い人生を選択することはできません。
そうではなく
「自分の人生は自分で創っている」。
そう思うことで人生をクリエイトすることができます。
自分の人生の責任を他人から自分にシフトすることで、よりよい人生を自ら創っていくことができるのです。
「頭(思考)」ではなく「ハート」から繋がる。
これによりハイヤーセルフの検疫を経ることができ、自分にとってプラスとなる願望のみを具現化することになる。
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前回までの投稿で
「人は誰でも意識を向けた先のエネルギーと繋がることができる」
「繋がりの強さは思い込みによって決まる(制限される)」
そして、
「制限を外すために、練習を繰り返し感覚を高め疑いを確信に変える」
「他人の感じ方をマネるのではなく、自分の感覚を養っていく」
ことが大切だと説明しました。
今日はエネルギーを扱うための最後の要素3、コントロール能力についてです。
このテーマは今回で最後となります。
エネルギーのコントロールは実はそんなに難しい話ではありません。
前回も書いた通り、
誰でも意図した先のエネルギーと繋がることができるなら、意図した通りにエネルギーを動かすこともできるからです。
ただこれも
「出来ない」
という思い込みが邪魔してうまくエネルギーを操作することが出来なくなってしまいます。
また効率的にエネルギーを操作する「知識」も大切になってきます。
前回の「感じる能力」もそうですが、
私たちは肉体を持っている以上、どうしても肉体機能の制限というのがついてきます。
「物理世界の法則」
「肉体機能の限界」
これも結局思い込み、と言ってしまえばそれまでなのですが、ここの壁は相当ハードルが高いです。
だから肉体について正しい認識を持ち、効率的にエネルギーを感じる、操作する知識を得た上でエネルギーワークを行うことが必要です。
正しい知識を得てエネルギーワークを行っていけば、最初は効果を感じたり感じなかったりなのが、徐々に効果を感じる回数が増えていきその内それが「当たり前」になってきます。
(肉体の回路が開いてくる)
結局はコントロールする能力も練習次第、ということになります。
伝授を受けてもそれを確信を持って使いこなすには、そのエネルギーを何度も使って練習するが必要あるということですね。
ということで、3回にわたり「伝授を受けた人と受けていない人の違い」ということで説明しました。
まとめると、
繰り返しますが、あくまで私(なんまる)の経験をもとに導きだした私見ですので、ご理解ください<(_ _)>
前回の記事の通り、この記事は参考程度として「ご自身の感覚で」捉えてみてくださいね☆
最後に「伝授」というものがどのようにして成り立つのかということについて、私なりの考えを書いておきます。
伝授というものは結論から言うと可能です。
ただしそれは伝授を繰り返す度に薄まっていくものだと思っています。
気功の練習をしていくとよく分かるのですが、
人は無意識にエネルギーの循環をしています。
これはどんな人同士でも、交差点で一度すれ違った人とも無意識で交流が行われています。
お互い知らず知らずの内に、自分の情報を交換しているんですね。
自分の(無意識下の)情報を相手に与え、相手の情報を受け取っているんです。
つまりこれが「伝授」です。
情報の交流は意識していない人同士でも起こりますが、意識するとその効率は最大に高まります。
一方が送る側、もう一方が受け取る側、とお互いに設定することで最大の効率で情報を与えることができるのです。
これが伝授の仕組みです。
ただ、ここでまた大切なことですが、
「与える側が持っている以上の情報は伝えることができない」
のです。
つまり、AさんがBさんに伝授をしようとした時、仮に
Aさんは90
Bさんは0
という数値(エネルギー量)だったとします。
そうした場合にBさんが伝授を受けて変化が期待できるのは0~90まで、ということになります。
最大で90の数値になることが期待できますが、場合によっては40かもしれないし最悪0のまま何も変わらないかもしれない。
(0ということもほぼ考えられませんが)
仮に70の伝授が成功したとして、今度はBさんがCさんに伝授するとします。
今度は、
Bさんは70
Cさんは0
という状態で伝授を行うことになりCさんが期待できる変化は0~70まで、ということになるのです。
100%の伝授が続けば薄まることはないのですが、中々そうはいかないと思いますので結局は伝授を繰り返す度にその効果は薄まっていく、そのようなものと考えています。
だから伝授を受ける時はなるべく大元の方から受けることをオススメします(^_-)-☆
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「人は誰でも意識を向けた先のエネルギーと繋がることができる」
「繋がりの強さは思い込みによって決まる(制限される)」
というお話をしました。
今日は「2,感じる能力」のお話です。
エネルギーを感じることが出来れば疑うこともなくなり
思い込みが確信に変わります。
ただなかなかそれが難しいのです。
気功は「やるより感じるのが難しい」と言われます。
実際エネルギーを扱うのは簡単なんです。
意図したところのエネルギーと繋がれる、ということは、意図した通りにエネルギーを扱うことは出来るのです。
しかし「否定的な思い込み」がそうさせないのです。
自分でブレーキをかけているからですね。
そのブレーキを解除するためには、
エネルギーを感じて、或いは効果を目の当たりにして確信していくしかありません。
一度感じたくらいでは
「たまたまじゃない?」
「本当かな?」
とまだまだ疑いが残りますので、何度も繰り返し徐々にブレーキを緩めていくのです。
つまりこれが「練習」です。
「思い込み」が強い人は、伝授を受けたといっても結局練習が必要なんです。
何度も練習してそのエネルギーを感じる、効果を目の当たりにする、という経験を繰り返して、徐々に思い込みのブレーキが外れ、使えるようになっていくんですね。
ここで私は伝授の必要性に疑問を感じました。
伝授を受けても結局練習が必要。
人は自分の内に全ての情報を持っていて、いつでも意図した先に繋がることができる。
そして伝授を受けても受けなくても練習が必要なら、伝授を受けなくてもいいのでは?
ということに気づいたのです。
そして「自分で練習し体得した達成感」や「自分本来のオリジナリティ」を大切にしたいという思いが湧いてきた中、タイミングよく出会った「伝授をリセットできるヒーラーさん」にその時までに受けた伝授を全てリセットしてもらいました。
※念のためですが伝授を否定している訳ではなく、前回の投稿でも書いた通り伝授を受けたことで「使えない」という思い込みが除去(正しくは上書き)されるので、それはそれで意味があります。
※伝授を受けたことがきっかけで感覚が開く方もいます。
結局は何度もエネルギーを扱う「練習」が必要、ということなのですが、、、
ここで「感じる」ということについて
メチャメチャ大事なことがあります。
いいですか?
本当にものすごーく大切なのでよーく聞いてくださいね。
それは
「他人の感じたことは関係ない」
「自分の感覚に集中する」
ということです。
周りの意見や雰囲気に惑わされない、ということですね。
これはよく先生と生徒の関係において特に注意が必要です。
例えば気功の先生が、
「ここで熱感の気を送ります。感じますか?」
と言ってきた時に、あなたは熱いものは感じず、ピリピリする感じだったとします。
その時に一番やってはいけないことは
「先生が熱感と言っているのだから、そう感じ取れない私が未熟なんだ」
と思うことです。
違うんです!
先生は熱感として感じているけども、あなたは同じものを「ピリピリ」と感じているだけなんです!
これまた多くの人はここで自分の感覚を否定してしまいます。
先生と生徒の関係なら尚更。
このように先生(他人)の言うことを押し付けられ鵜呑みにしそうになることはよくあることなのですが、それは「お試し」だと思いましょう。
それを越えていけるかどうかを試されているんです。
それを繰り返していくことで「自分の感覚」が磨かれていきます。
薄皮を一枚一枚積み重ねるように。
(次回に続く)
]]>術者と同じエネルギーワークができるようになる、と言われているものです。
パッとすぐに思い浮かぶものではレイキなどが有名ですね。
私、なんまるも過去に様々な伝授を受けた経験があります。
(今はリセットしています)
今日はその「伝授」について私なりの捉え方をお話ししようと思います。
まず大前提として、
「人は意識を向けたエネルギーと繋がる」
という能力を誰もが持っています。
誰でも、
「〇〇の神様と繋がりたい」
「創造主と繋がりたい」
と思えば、思った瞬間に既に繋がっているのです。
もっと言うと
「愛犬(ペット)」
「〇〇さん(名前)」
と思っただけでその瞬間繋がっています。
だから「レイキのエネルギー」と意識した瞬間にレイキのエネルギーと繋がることができます。
これは伝授を受けた、受けてない関係なく起こります。
何故ならその人の潜在意識は「全てと繋がっていてレイキエネルギーについても既に知っている」からです。
ただ同じレイキエネルギーに繋がることが出来ても扱う人によって効果は様々です。
その理由は3つのことに寄ります。
1、思い込み
2、感じる能力
3、コントロール能力
それぞれ順番に説明しますね。
1つ目の思い込みとは、そのエネルギーとの繋がりが強いか弱いかの違いになります。
その繋がりをパイプで表現した場合、太いか細いか、という言い方をすることが出来ます。
パイプが太い人はより多くのレイキのエネルギーを扱うことが出来ますが、細い人はほんの少しの量しか扱うことができません。
だから人によって効果に違いが出てくる、ということが言えます。
このパイプが太いか細いかの違いの、一番大きな要因は「思い込み」です。
それまで育ってきた環境や経験などがその人の「思い込み」を形成しているのですが、そこで
「私にはこんなことできるはずがない」
「本当にこんなことで出来るようになるの?」
という否定的な思い込みが強ければ強いほど、そのパイプは細いものになってしまうんですね。
伝授を受けた人のメリットを挙げるとすれば、一つはこの「思い込みの除去」かなと思います。
「本当なの?」
と疑う癖が強い人は自分自身を信用できないためにせっかく効果が出てもそれを否定してしまいます。
それを「伝授」という儀式を経ることによって大部分を取り除くことができるのです。
それでも強い思い込みが残る人は
「あれね、私はあまり効果なかった」
と以降使うことを止めてしまうことになります。
実は伝授を受けた人の多くはこのパターンになります。
この「思い込み」を除去して「確信」に変えることが出来ればパイプは太くなり効果は飛躍的に高まります。
実は全ての問題はこの「思い込み」が原因だと言っても過言ではありません。
「2、感じる能力」も「3、コントロール能力」もこの思い込みさえなんとか出来れば解決するのです。
この「思い込み」を「確信」に変える。
その為の鍵となるのが「2、感じる能力」です。
(長くなりましたので続きはまた次回に・・・)
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その知人は以前は職場の同僚だったのですが、
上司との折り合いが合わずに数年前に退職し、それ以降連絡をとっていなかったんです。
人づてに、その知人が昨年の秋に脳梗塞で倒れていたということを聞きました。
しかも脳梗塞を発症してから仕事先の人に発見されるまで、ほぼ丸一日放置状態だったということです。
現在は徐々に回復していきている、ということなのですが、
「今はどうしてるかな」と気になり会うことにしたのです。
ノンアルコールビールを片手に、近所で買った貝殻付ホタテを焼きながら
身体の状況や今の心境など聞いてみました。
身体は徐々に回復していて、2時間程度の車の運転くらいならできるようになったということ。
ただ右半身には若干の麻痺が残っていて、箸を持つ手もぎこちなく見えました。
その中でふと、その知人が
「何度となく、もう死のうかな、と思ってさ。。。」
とボソッと言い出したんです。
気持ちはわかります。
年齢も50になり肉体は衰え傾向にある中、身体的障がいも発症し、
「この先自分に何ができるんだろう」
と悩んでしまうのは普通のことだと思います。
これまで以上の楽しみが見いだせないなら、
一時的にしろ生きる意味を見出せなくなる気持ちもわかります。
私はその思いを否定せず、自分にも同じ思いをした経験があったことを話しました。
私も昔、本気で死のうかな、と思った経験があります。
それは一度人生の底だと思った後に、さらなる底に突き落とされた時期でした。
今客観的に振り返ると、世の中にはまだまだ大変な人がたくさんいるのにな、と恥ずかしい気持ちになるのですが(笑)
その頃は本気で
「もう死んでもいいかな」
と思ったんです。
ただその時は幸いにも、離れて暮らしながらも懐いてくれている幼い娘がいて、
娘のことを思い返し「まだ頑張ろう」という気になりました。
そんなことをその知人にも話しつつ、
「死にたい」という思いを否定することなくただ耳を傾けていました。
「まだまだやれることはあるでしょう」
ということも出来たと思いますが、なにか、
鬱の人に「頑張れ」と言うのと同じような気がしてその場では控えておきました。
ホタテバーベQを楽しみつつ、ひとしきり話を聞いた後は
多少はスッキリした様子になり
「また会いましょう」
と約束して別れました。
そんなことで改めて「死」について考える機会をいただきました。
「死」というより「生」について考えた、と言った方がいいかもしれません。
私はなぜ、なんの為にこの世に生まれてきたのか?
この疑問はこれまで何度となく頭に浮かんでは消えていっていました。
皆さんもそのようなことを一度は考えたことがあると思います。
今、私なりのその答えはでていまして、それは、
「この世を楽しむために生まれてきた」
ということで今は納得できています。
これは並木良和さんの影響が多分にありまして、
並木さんの考えに触れるようになってから、これまで悩んできたことが腑に落ちることがたくさんあります。
「私たちは、この世を楽しむために生まれてきた」
という考えに触れたときも、それまで抱いていた疑問がすーっと晴れる感覚になりました。
使命や天命という言葉もありますが、
そもそも、生きることに目的なんてないのかもしれない。
あるとするなら、ただ、体験し、味わい、楽しむ。
ただそれを目的に生きている、そんな気がするんです。
で、ここからが本当に伝えたい話です。
では、何を楽しむために生きているのか?
それは、
「ポジティブもネガティブも、すべてを楽しむため」
です。
楽しむ、というとポジティブなことはイメージしやすいと思います。
ネガティブを楽しむってどういうこと?って思いますよね。
でも実際、私たちは楽しんでいるんです。
心の奥で、体験するあらゆる感情を、楽しんでいるんです。
ドラマを観ている時を想像すると分かりやすいかもしれません。
嬉しい、楽しい
ワクワク
ハラハラドキドキ
憂鬱、不安、恐怖
ドラマを観ている時は感情移入して、これらの感情を楽しんでいますよね?
人生もこれと同じだと思うんです。
本来魂だけでは味わうことのできない感情を、肉体と分離感を持って味わい、楽しむ。
まるで遊園地でアトラクションを楽しむかのように。
そのために僕たちは生きているんだと思うんです。
だから私たちはすべてを楽しむために、
楽しい感情も辛い感情も自ら創り出し体験しているんです。
生きるって自由そのもの。
成功する自由もあれば、失敗する自由もあるんですよね。
成功しかない人生なら、それはそれでつまらないのかもしれません。
良いも悪いも全ては生きているからこそ味わえるんですよね。
でも出来るなら辛い体験はそこそこにして、楽しい、嬉しい出来事をたくさん体験したいですよね。
今後も辛い体験が続くと思うとちょっとしんどくなってしまいます(^^;
でも安心してください。
僕たちは最終的に必ずハッピーエンドになるようになっているそうです。
なぜならそのように設定して生まれてきているから。
あがき抵抗することなく自分の運命を受け入れ、
満足感と感謝をもって、自然体でこの世界を生きることができるなら
「辛い体験」からは卒業できるのです。
この世界は元々完璧にできています。
この感覚は天(創造主、源)と日々つながるようになってから確信をもってそう思うようになりました。
不自然にみえる人間のエゴも含めて、すべてが完璧な自然の一部なんです。
すべてはうまくいっているのです。
だから何が起きても大丈夫!
せっかくこの世に生を受けたのだから、悔いの無いようこの世界を楽しんでいきましょうね(^^
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全身の気血の流れが整い健康体質になるだけでなく、脳全体がバランスよく活性化していきます。
脳全体とは、外側の大脳新皮質に加えて、
脳内部にある「前頭葉」「視床」「視床下部」「中脳」「小脳」、また「延髄」も加わって、
これら全部がバランスよく活性化するのが気功の効果です。
脳全体が活性化するとどうなるかというと、
思考力、イメージ力が強化されるだけではなく、気力(集中力、やる気)、肉体機能(体温調節、体内時計の正常化)、精神の安定に加え、
五感が研ぎ澄まされる、直感、閃き、、、
などなど、心身ともに健康になるだけでなく第六感も発達してくるのです。
脳全体の活性化=肉体(全身)の活性化=心の安定=スピリチュアルな能力の発達
気功に取り組むとそんなメリットがあるわけですが、
肉体に働きかける以上、必要な栄養素というものがあります。
気功は神経系を鍛えるトレーニングですが、
神経系を発達させるのに重要な栄養素が「ミネラル」です。
ミネラルは「脳幹機能」「神経伝達」の働きを向上させるのにとても有効な栄養素なのです。
ということで今日は「ミネラル」を正しく摂取することの重要性とそのメリットについて説明します。
フォレスト出版「食べなきゃ、危険」という書籍をご存知でしょうか。
この本によると、現代の食卓の特徴として以下が挙げられています。
これらの特徴により現代の人は極度の「ミネラル不足」に陥っているのだそうです。
一説には現代の我々の摂れているミネラルは戦前と比較して、3割程度だという調査結果もあります。
これはダムの建設、下水の発達、人口肥料の拡大により大地からミネラルが枯渇してしまったことが原因と言われています。
その結果、我々の体がどうなっているかというと・・・
同書籍にはこのように書かれています。
それにより、多様な現代病が生じている一方で、ミネラルの補給によってさまざまな症状が改善することを実証的に解説しました。
たとえば、ミネラル補給は、アスペルガー症候群や高機能自閉症など、現代医療ではよくならないとされている子どもの発達障害についても劇的な効果を挙げているという事実があります。
さらに成人においては、さまざまな病気(うつ病、アトピー性皮膚炎から糖尿病)が治癒していくという実例も出ています。
ミネラル不足により「多様な現代病」や「子どもの発達障害」が生じている、ということです。
そしてその原因がミネラル不足だということを裏付けるかのように、
ミネラルを補給すると子どもの発達障害をはじめ、成人病やうつ病が治癒する症例が出ているということです。
ノーベル賞を二度受賞した経歴をもつライナス・ポーリング博士という人物は
「すべての病気の原因を追究すると、例外なくミネラル不足にいきつく」
と断言したそうです。
またハーバリスト(ハーブを安全かつ効果的に生活に取り入れるためのアドバイスをする仕事)
の権威であるアール・ミンデル博士は、その著書「ビタミンバイブル」の中で、
「ビタミンは重要なものだが、ミネラルなしでは何もできない。ミネラルこそ、栄養の世界のシンデレラと私は言いたい。...ビタミンはミネラルの助けなしには吸収されることも、その機能を果たすこともできない」
と述べています。
ミネラル不足は様々な不調を誘発する根本的な原因の一つだと言われています。
ではミネラルが肉体に補充されるとどうなるのでしょうか?
一つ、このような実験があります。
これは㈱JESが販売している「希望の命水」というミネラルが補給できるサプリメントを飲用した時の様子です。
「希望の命水」を飲むとバランスが整う
サプリメントを飲んで約1分経過すると、
身体の重心が整いバランスが安定するのです。
これはどういうことかと言うと、
これらによってもたらされる効果です。
「脳幹」と限定して書きましたが、
正確には脳幹を含めた脳全体のネットワークと捉えてください。
その中でも特に脳幹部位の活性化が顕著だ、ということです。
不活性だった脳幹が活性し、
神経伝達の向上によって脳全体のネットワークが活性化することによって、
無意識で働く肉体機能の活性化が起こります。
動画のようにバランス感覚が向上するのをはじめ、
これらは肉体を流れる電気信号が強くなることによってもたらされます。
ミネラルを摂取することによって脳より発信する電気信号が強くなることで、
各部位の筋力が強くなり感覚も鋭くなるのです。
自然治癒力も活性化するので心身の不調にも良い影響がありますし、
健康度そのものが向上していきます。
「そうか、ミネラルが大切なのはわかった!じゃあ早速ミネラルが入った麦茶をコンビニで買ってこよう!」
と思ったかもしれませんが、ちょっと待って!
実はミネラルの摂取には欠かせない大切な法則があります。それは、
出来るだけ多種類のミネラルをバランス良く摂取する
ということ。
実はミネラルには「多種類が連携して働く」という性質があります。
貧血時には鉄を、骨粗鬆症にはカルシウムを摂取することを勧められますが、
実はそれだけを摂っても症状は改善しません。
貧血でいうと、銅や亜鉛、コバルト、セレンなど他のミネラルとの連携があった上で鉄が働きます。
ですから一つのミネラルではなく、多種類のミネラルをバランス良く、が鉄則なのです。
以上を踏まえ、私がオススメする
多種類のミネラルをバランス良く摂取できる方法をいくつかご紹介します。
冒頭説明したように大地からはミネラルが摂れなくなってしまいましたが、
海からは十分なミネラルを摂ることができます。
そこでオススメしたいのが「出汁」です。
出汁も価格面でピンからキリまでありますが、
なるべく手間暇のかかったもの(=高価なもの)がミネラル摂取には効果的と言われます。
私は「食べなきゃ、危険」でも紹介されているコチラの出汁を切らすことなく常備しています。
この出汁を料理に振りかけたり、大さじ1杯程度加えることで手軽にミネラルが補給できます(しかも美味しい(^^)
ぜひお試しあれ♪
海水塩は文字通り海水から採取された塩のことです。
煮詰めて作ったせんごう塩や、海水を蒸発させてつくる天日塩などありますが、
ミネラル摂取の観点では今日食卓塩として一般的に使用されている精製塩でなければ問題ありません。
岩塩とは、長い年月をかけて海水が結晶化してできた塩のことです。
昔は海だった土地が隆起して陸になった場所などで採取されます。
有名なのはモンゴルやアルプスなど。
「ヒマラヤ岩塩」も有名ですね。
岩塩は海水が結晶化したようなものなので、
ミネラルが豊富に含まれています。
ミネラルが補給できるサプリメントもたくさんあります。
かなりたくさんの種類がありますが、大体は「鉱物系」「金属系」「植物系」に大別されます。
これらはお手軽なものから高価なものまで千差万別であり、私も試したことがないものが殆どなので
ここでの説明は割愛させていただきます^^;
いろいろ試してみて、自分に合ったものを探してみるといいかもしれませんね。
心身の健康に大切な栄養素であるミネラルですが、
より効率的に摂取するために私が8年間愛用しているサプリメントがあります。
希望の命水
↑で紹介した動画のとおり、
慢性的にミネラルが不足している人が「希望の命水」を飲むと、
瞬時に神経伝達が良くなり肉体機能の向上がみられます。
私はもちろん気功や瞑想の補助としての効果も感じています。
ただいま「ミネラル不足度チェック」という簡単なアンケートに回答すると、
希望の命水のサンプル(飲用・お風呂用)が無料でもらえます^^
「ミネラル不足度チェック」は↓をクリック
https://j-smc.co.jp/mineral/#check
ぜひ「バランス実験」をやってみてその効果を感じてみてください。
バランス実験のやり方動画
「希望の命水」はただいま新規入会キャンペーン中とのこと。
(2022年7月1日~8月31日)
この期間中に希望の命水の定期購入を始めると
登録月分(5,832円)が、実質無料になるそうです。
お得情報としてお知らせしておきます笑
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ただ長年瞑想を続けているのに、一向に瞑想が深くならない、という方は案外多いのではないでしょうか。
この記事では、
このような方に向けて、その原因と対策について書いていきます。
まず瞑想とは何のために行うのでしょうか?
一般的には、心身の安定、ストレス解消、集中力アップ、能力開発、パフォーマンス向上が瞑想に取り組む意義である的なことが言われています。
それは瞑想によって得られる効果として正しいのですが、
私はもっとシンプルに
が瞑想の効果だと思っています。
普段の私たちはたくさんの思考を巡らせているため、
大脳が優位となり脳幹(視床下部)や小脳といった直感や閃きを司る脳の働きが低下してしまっています。
例えていうなら、思考(思い込み)が騒音のように直感や閃きをかき消している、という状態です。
だから直感や閃きがあっても、それをうまく受け取ることができません。
また大脳が活発になりすぎていると、どうも脳幹の機能が落ちるようなのです。
(医学的根拠はありません。私が体験で感じていることです)
結果、自然治癒力が低下し、心身のバランスが崩れます。
さらに思考が働きすぎていると、余計なことを考えてしまいストレスが溜まります。
このように活発になりすぎている思考(大脳の働き)を落とし、
それ以外の脳の部位を活性化させることで自然治癒力や直感の働きを高める、
これが瞑想の効果となります。
瞑想が上手にできるようになると、
思考が静まり、いわゆる「無」の状態を体験するようになります。
ただこれは口でいうほど簡単ではなく、
それなりの練習が必要になります。
練習すれば徐々にできるようになっていくものですが、
長年やっても一向に「無」の状態にならない、という人もいます。
かくいう私がそうで、瞑想を続けながら「なぜだろう?」とずっと疑問に思ってきました。
するとどうやらこういうことだろう、というのがなんとなく見えてきたのです。
結論をいうと、瞑想が深くならない根本的な原因はその人のもつ「分離意識」にあります。
長くなるので「分離意識」は別の機会に説明するとして、
ここではもっと具体的な原因を述べることにします。
瞑想が深くならない肉体的な要因としては、「体が硬い」ということがあげられます。
体質的なこともありますが、体が硬いとまず座位を保つことができません。
あぐらなどで無理に座位を保っても、体が痛みを感じるようでは瞑想どころではありません。
また特に背中(背骨周辺)が硬い人は背筋をまっすぐすることも長く続けることができません。
この原因は一つには「緊張する癖がついている」ということがあります。
普段から常に緊張し、体のどこかに力が入っている場合が多いです。
リラックスが苦手な人ですね。
(根本的な原因は思考が働きすぎているためです)
対策としては私の場合、敷布団の上でお尻の下に枕を入れ姿勢を調節することで、無理なく瞑想ができるようになりました。
また、横になって寝ながら瞑想をするのもオススメですが、私の場合はすぐに寝入ってしまうので、本気で瞑想する場合は座位で行います。
瞑想が深くならない心理的な要因としては、
「不安感」「恐怖心」「マイナス思考」
があげられます。
日頃抱えている不安や恐怖があると、思考がぐるぐると周り瞑想どころではありません。
また体も緊張して硬くなってしまいます。
(結局、体の硬さも心からきている)
この負の感情はどこからきているかというと、
幼少期の「トラウマ」やそれまで培ってきた「思い込み」です。
それを無くすために瞑想に取り組んでいるのに、これでは本末転倒ですよね。
言ってみるなら、
顕在意識では思考を止めて落ち着きたいのに、
潜在意識にある不安、恐怖のパワーが強すぎて負けてしまっている状態・・・
もとより潜在意識は顕在意識をはるかに上回るパワーを持っています。
このような人が落ち着きを取り戻すには、瞑想のやり方を工夫する必要があります。
大切なことは、潜在意識の主張を認め、受け入れることです。
次に、瞑想の種類について説明します。
瞑想といっても様々な方法があります。
どれも目的は「思考を鎮め、脳の内部を活性化すること」です。
どの方法も効果は同じなので、自分にあった方法を探してみてください^^
これは瞑想に姿勢になり、浮かんでくる雑念をひたすら捉え、消していく方法です。
瞑想中に雑念が浮かんできたら、
「自分は今瞑想中で構っている暇はない、消えろ」
と一つずつ浮かんでくる雑念に対処していきます。
私自身はこの方法は得意ではないので、あまり試したことはありません。
オーソドックスな瞑想の方法です。
集中することによって思考を鎮めます。
一般的に「ゾーンに入る」という表現をされたりしますね。
集中する対象によって方法が分かれます。
例えば、
といったものがあります。
思考が優位な時は眼球がせわしなく動いているようです。
逆に眼球の動きを止めることで思考も止まります。
昔、たしか空海が明けの明星と言われる金星を見つめ続けて開眼した、という話があったような。。。
詳しく調べてないので興味がある人は調べてみてください笑
最もオーソドックスな方法です。
呼吸を「細く、長く」行い、その呼吸に意識を集中します。
最初に息を全て吐き出し、限界まで吸います。
これを3回ほど繰り返してから呼吸に集中し瞑想を行います。
集中を強化するために、数をカウントするのも有効です。
ゆっくりと吸いながら、1、2、3、4、・・・とカウントし、
ゆっくりと吐きながら、1、2、3、4、・・・とカウントします。
徐々に呼吸のゆったりと深くなってきますが、
1回の呼吸を頑張って長くするのはNGです。
苦しくなる少し手前の呼吸を繰り返すのがコツです。
うまく出来ると呼吸が細く長くなるに伴い、
意識が落ちていきます。
思考が働いている状態というのは意識が「過去」あるいは「未来」に飛んでいます。
このように意識が「今」に向いていない状態では、
力が過去と未来に分散されパフォーマンスが著しく低下します。
パフォーマンスを高めるには「今」に集中し、
「今」に力を注ぐことがとっても大事なのです。
案外このことに気づいていない人が多いのです。
「今」に集中できると自然と思考は静まります。
そのための方法が「一点をみつめる」「呼吸に集中する」でもあるのですが。
ヴィパッサナー瞑想もオススメです。
ヴィパッサナー瞑想について詳細はネットで調べていただくとして、
やり方は簡単です。
自分に意識を向け、自分が今何をしているか、感じたことをひたすらに言語化していきます。
例えば、
このように、その時自身が気づいたこと、意識を向けたことを何を考えるでもなく言語化していくのです。
これを習慣にしていると、過去や未来に向いていた意識が「今」に集中できるようになり、余計な思考をしなくなっていきます。
瞑想に習熟していないとどうしても雑念は湧いてきてしまうものです。
雑念が湧いた時の対処としては、「否定しないこと」です。
そもそも雑念は潜在意識からやってくるものと捉えることができます。
未処理の感情(トラウマ)など、
潜在意識が顕在意識に何かしら訴えたいことがあるから雑念という形でメッセージを送っているのです。
それを無理に無くそうとしても、そもそも無理があります。
未処理の感情が浄化され潜在意識がクリアになっていくと、自然と雑念も無くなってきます。
だから未処理の感情が残っているがゆえに、雑念が湧いてくるのは仕方のないことなのです。
ではその雑念に対してどうするといいのか?
まずは雑念に気づき、認めること、そしてその雑念を景色のように眺め、過ぎ去るのを観察します。
ヴィパッサナー瞑想に近いかもしれませんね。
未処理の感情に気づくことで少しずつ浄化され、潜在意識がクリアになっていきます。
雑念やマイナス思考、自分の中の嫌な感情は通常「みたくないもの」ですが、
それを無理に抑え込んでしまうと「未処理のまま」残ってしまいます。
そうではなく、ただ気づき、認め、観察し流す。
瞑想中の雑念に対してはこのように対処していきましょう。
瞑想が深くなりにくい人は思考が強く、
未処理の感情を抱えているため雑念が湧きやすい
という説明をしました。
このような人は次から次に浮かんでくる雑念に気づき、
それを風景のように眺めるヴィパッサナー瞑想がオススメです。
その上で日常生活においても、
自分の行動をつど言語化する練習をしていけば、
「今」に集中できるようになりパフォーマンスも向上していくでしょう^^
実は思考が強すぎる人でも簡単に「無」を体験できる方法があります。
ただし一瞬だけですが。
この方法はむしろ「思考が強い」ことが利点になります。
そんな方法、あるんです。
私も最初は目から鱗が落ちました笑
この方法で「無」を一瞬でも体験し、理解できたら、
あとはその感覚を再現するように練習していけばいいのです。
ぜひ試してみてくださいね^^
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気功に取り組んでも
「氣を感じられない」
「氣をいまいち実感できない」
という方は多いです。
今日はその原因と対策について説明します。
<氣を感じられない原因>
氣を感じられない原因①「緊張している」
いわゆる「氣が上がっている状態」。
これだと身体の余計な部分に力が入ってしまい、感じることが難しくなってしまいます。
リラックスを心掛け、よい意味でぼーっとしている状態が氣を感じるのには理想です。
氣を感じられない原因②「(氣の存在を)否定している」
これは「思い込み」が邪魔をしていることになります。
せっかく何等かの感覚を感じているのに、
「そんなことあるはずがない」
「いや、(氣の感覚とは)もっと違う感覚のはずだ」
と氣の感覚を否定してしまっていると、そのイメージが現実となり感じることができません。
氣の感覚には個人差があるものです。
「あの先生はこういってるけども、自分はこう感じる」
これくらいの気持ちでいた方が氣の感覚はどんどん研ぎ澄まされていきます。
氣を感じられない原因③「経験不足」
これまで氣を感じた経験がない(実際は感じているけどもそれを氣として認識していない)場合は、そもそも氣についての理解がないため、感じてもそれが「氣」であることに気づきません。
<氣を感じる有効な方法>
上記で説明した原因を解消すれば氣を感じるのはそんなに難しいことではありません。
「緊張」と「思い込み」と「経験不足」
この3つを同時に解消する有効な方法があります。
それは、
全身の氣の量を(圧倒的に)増やす
ことです。
そもそも、氣の量が不足していると、
肉体に焦点が合ってしまい、氣に意識が向きません。
氣が充実し、肉体に占める氣の密度が濃くなれば、
肉体ではなく氣に焦点が合うようになります。
あなたが氣を感じられないのは氣の量が圧倒的に足りないからなのです。
では「氣の量」を増やすにはどうしたらよいのでしょう?
それは氣功の錬功や小周天を時間をかけて行うのが一番です。
私が昔、群馬で習っていた呼吸法の先生は
1日10時間、呼吸法の鍛錬を行っていると言っていました。
私もそれにならい、10時間は無理でも毎日2時間、
休日は3~4時間稽古する生活を半年間続けたことがあります。
半年経過したころ、当時勤めていた会社から転勤を言い渡されその生活を終えたのですが、
終盤は24時間、寝ている時も起きている時も、手から勢いよく湯気が噴出しているような、
そんなリアルな感覚がありました。
もちろん、当時の先生の能力がすごかったこともありますが、
淡々と毎日それくらい稽古をしていると、否が応でも氣を感じることになると思います。
そうなると、いくら左脳型の人でも、もう否定するのは無理ですよね。
氣の存在を心から認めることができると、
一つ、大きな思い込みが外れて可能性が開けることになります(^^♪
1日2時間が難しくても、毎日1時間、練功や小周天を淡々と続けてみてください。
特に小周天は「ながら」でできるのでオススメです。
慣れると仕事をしながら、車を運転しながら、読書をしながらできるようになりますよ(^^
難しいのは「続けること」。
それが出来ると、心身の健康に加え、健康のその先にある「氣の感覚(直観)」がどんどん開発されていきます。
ぜひ取り組んでみてくださいね(^^♪
小周天がオンライン講義で学べます。
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