自分軸をつくる

ホタテを焼きながら「生きる目的」について考えてみた。

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先日、数年ぶりに再会した知人と近くの河原でバーベキューをしました。

 

その知人は以前は職場の同僚だったのですが、

上司との折り合いが合わずに数年前に退職し、それ以降連絡をとっていなかったんです。

 

人づてに、その知人が昨年の秋に脳梗塞で倒れていたということを聞きました。

しかも脳梗塞を発症してから仕事先の人に発見されるまで、ほぼ丸一日放置状態だったということです。

 

現在は徐々に回復していきている、ということなのですが、

「今はどうしてるかな」と気になり会うことにしたのです。

 

ノンアルコールビールを片手に、近所で買った貝殻付ホタテを焼きながら

身体の状況や今の心境など聞いてみました。

 

 

身体は徐々に回復していて、2時間程度の車の運転くらいならできるようになったということ。

ただ右半身には若干の麻痺が残っていて、箸を持つ手もぎこちなく見えました。

 

その中でふと、その知人が

「何度となく、もう死のうかな、と思ってさ。。。」

とボソッと言い出したんです。

 

気持ちはわかります。

年齢も50になり肉体は衰え傾向にある中、身体的障がいも発症し、

「この先自分に何ができるんだろう」

と悩んでしまうのは普通のことだと思います。

 

これまで以上の楽しみが見いだせないなら、

一時的にしろ生きる意味を見出せなくなる気持ちもわかります。

 

私はその思いを否定せず、自分にも同じ思いをした経験があったことを話しました。

私も昔、本気で死のうかな、と思った経験があります。

 

それは一度人生の底だと思った後に、さらなる底に突き落とされた時期でした。

今客観的に振り返ると、世の中にはまだまだ大変な人がたくさんいるのにな、と恥ずかしい気持ちになるのですが(笑)

 

その頃は本気で

「もう死んでもいいかな」

と思ったんです。

 

ただその時は幸いにも、離れて暮らしながらも懐いてくれている幼い娘がいて、

娘のことを思い返し「まだ頑張ろう」という気になりました。

 

そんなことをその知人にも話しつつ、

「死にたい」という思いを否定することなくただ耳を傾けていました。

 

「まだまだやれることはあるでしょう」

 

ということも出来たと思いますが、なにか、

鬱の人に「頑張れ」と言うのと同じような気がしてその場では控えておきました。

 

ホタテバーベQを楽しみつつ、ひとしきり話を聞いた後は

多少はスッキリした様子になり

「また会いましょう」

と約束して別れました。

 

そんなことで改めて「死」について考える機会をいただきました。

「死」というより「生」について考えた、と言った方がいいかもしれません。

 

私はなぜ、なんの為にこの世に生まれてきたのか?

 

この疑問はこれまで何度となく頭に浮かんでは消えていっていました。

皆さんもそのようなことを一度は考えたことがあると思います。

 

今、私なりのその答えはでていまして、それは、

 

「この世を楽しむために生まれてきた」

 

ということで今は納得できています。

これは並木良和さんの影響が多分にありまして、

並木さんの考えに触れるようになってから、これまで悩んできたことが腑に落ちることがたくさんあります。

 

「私たちは、この世を楽しむために生まれてきた」

 

という考えに触れたときも、それまで抱いていた疑問がすーっと晴れる感覚になりました。

 

使命や天命という言葉もありますが、

そもそも、生きることに目的なんてないのかもしれない。

あるとするなら、ただ、体験し、味わい、楽しむ。

ただそれを目的に生きている、そんな気がするんです。

 

で、ここからが本当に伝えたい話です。

 

では、何を楽しむために生きているのか?

それは、

 

「ポジティブもネガティブも、すべてを楽しむため」

 

です。

楽しむ、というとポジティブなことはイメージしやすいと思います。

ネガティブを楽しむってどういうこと?って思いますよね。

 

でも実際、私たちは楽しんでいるんです。

心の奥で、体験するあらゆる感情を、楽しんでいるんです。

 

ドラマを観ている時を想像すると分かりやすいかもしれません。

 

嬉しい、楽しい

ワクワク

ハラハラドキドキ

憂鬱、不安、恐怖

 

ドラマを観ている時は感情移入して、これらの感情を楽しんでいますよね?

人生もこれと同じだと思うんです。

 

本来魂だけでは味わうことのできない感情を、肉体と分離感を持って味わい、楽しむ。

まるで遊園地でアトラクションを楽しむかのように。

そのために僕たちは生きているんだと思うんです。

 

だから私たちはすべてを楽しむために、

楽しい感情も辛い感情も自ら創り出し体験しているんです。

 

生きるって自由そのもの。
成功する自由もあれば、失敗する自由もあるんですよね。
成功しかない人生なら、それはそれでつまらないのかもしれません。
良いも悪いも全ては生きているからこそ味わえるんですよね。

 

でも出来るなら辛い体験はそこそこにして、楽しい、嬉しい出来事をたくさん体験したいですよね。

今後も辛い体験が続くと思うとちょっとしんどくなってしまいます(^^;

 

でも安心してください。

僕たちは最終的に必ずハッピーエンドになるようになっているそうです。

なぜならそのように設定して生まれてきているから。

 

あがき抵抗することなく自分の運命を受け入れ、

満足感と感謝をもって、自然体でこの世界を生きることができるなら

「辛い体験」からは卒業できるのです。

 

この世界は元々完璧にできています。

この感覚は天(創造主、源)と日々つながるようになってから確信をもってそう思うようになりました。

 

不自然にみえる人間のエゴも含めて、すべてが完璧な自然の一部なんです。

すべてはうまくいっているのです。

 

だから何が起きても大丈夫!

せっかくこの世に生を受けたのだから、悔いの無いようこの世界を楽しんでいきましょうね(^^

 

 

 

 

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nanmaru
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仙人に憧れる50歳

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