気づき

コラムなんまる~合気道開祖の逸話から読み解く具現化の極意~

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合気道開祖、植芝盛平の不思議なエピソード

合気道の開祖は知る人ぞ知る、

植芝盛平翁です。

 

植芝盛平翁

 

 

この動画は後の達人、弟子時代の故塩田剛三氏も映っていて

マニアにはヨダレものの演武内容となってます笑

 

植芝盛平翁は武道の達人なのですが

大本教の出口王仁三郎に師事していたことも影響しているのか

人間離れした神がかり的なエピソードがたくさんあります。

 

その内のいくつかを紹介すると、、、

 

  • 10時間以上の列車での移動中弟子に「ワシに隙があったらいつでも殴ってこい。もし殴れたら十段やろう」といって眠り込むが、弟子が殴ろうとする直前に必ずカッと目を見開く。何度やっても同じ結果になる。
  • 内弟子が道場に布団を敷いて寝ていると、奥の部屋で寝ていた植芝先生が突然真っ暗な道場に飛び出し木剣を斬りつけた。そこには首の飛んだネズミの死体があったという。どうやら道場の神棚のお供え物をネズミがかじっているのを察知し、飛び出してきてネズミの首をハネたのだそう。

 

これらのエピソードは弟子である塩田剛三氏が実際に見聞きしたことを自著の中で明らかにしていることであり、信憑性があります。

 

 

今では中々手に入らない、お気に入りの1冊です(^^

 

極めつけは「鉄砲の弾を避ける」

数多い植芝盛平の極めつけのエピソードといえば

何と言ってもコレでしょう。

 

なんと植芝先生には「鉄砲の弾は当たらない」のだそうです。

 

 

その時の様子を塩田剛三著「合気道修行」より抜粋して紹介します。

少し長文ですがきっと面白いと思います^^

 

~拳銃の一斉射撃をかわす~

 

不思議といえば、極めつけの出来事をお話しましょう。これも私が実際にこの目で見たことです。

あるとき、陸軍の砲兵官の方が、軍の関係者を九人ばかり連れて植芝道場にやってきました。合気道という素晴らしい武道があるから見学しろ、というわけです。

(中略)

そういう人たちを前にして演武を行った植芝先生が、そのとき「ワシには鉄砲は当たらんのや」と言ってしまったのです。確かに植芝先生は、蒙古で馬賊と闘ったときに鉄砲の弾をよけたと聞いていましたが、しかしこのときは相手がいけません。検査官の人たちはプライドを傷つけられて、すっかり怒ってしまいました。

 

「本当に当たりませんか」

彼等が先生に詰め寄ります。

「ああ、当たらん」

「じゃあ、試していいですか」

「けっこうや」

 

売り言葉に買い言葉です。その場で何月何日に大久保の射撃場で鉄砲の的になる、という誓約書を書かされ、拇印まで押すはめになってしまいました。

(中略)

さてその当日、先方から迎えが来て、大久保の射撃場へと植芝先生を連れていきました。お供は私と湯川さんの二人です。奥さんが大変心配されて、やめるように懇願したのですが、先生は「いや、大丈夫。あんなもん当たらんよ」のんきなものです。

(中略)

 

射撃場に着くと、もっと大変なことが待っていました。私はてっきり、一人の人が先生を撃つのかと思っていたら、なんと六人がかりだというのです。

用いた銃はピストルでした。ピストルの有効射程距離が二十五メートルだそうです。射撃場ではその距離に人間の形をした的が置かれています。

しかし、そのときは人形の代わりに、植芝先生が的の位置に立つことになりました。そして、こちらのほうで、六人の検査官がピストルを構えました。

 

二十五メートルというと相当の距離です。あんなところから先生はいったいどうするというのだろう、と私は息を呑んで見守っていました。

 

「一、二、三」で、六つの銃口が一斉に火を吹きました。砂ぼこりがもうもうと舞い上がったと思うと、次の瞬間、六人のうちの一人が宙に舞ったのです。

なんということでしょう。先生がいつの間にか六人の後ろに立って、ニコニコ笑っているではありませんか。

狐につままれた気分とはこのことです。いったい何が起こったのか、私にはまったく理解できませんでした。私ばかりではありません。その場にいただれもが。ただ驚くばかりで言葉を失っています。

 

納得できない様子の六人の検査官が、もう一度やらせてくれと申し出ました。先生は「かまわんよ」と、いたって涼しい顔です。

もう一度、六つの銃口が先生に向かって火を吹きました。と、今度は端っこの人が投げられて宙に舞ったのです。先生はまたもや、いつの間にか後ろに立っていました。

私は呆然となってしまいました。今度こそ何が起こるか見極めてやろうと目をこらしていたのですが、結局、先生の動きがなにひとつ見えなかったからです。

~塩田剛三「合気道修行」より~

 

~黄金の玉が飛んでくる~

 

帰りしな、私は先生に「いったいどうやったんですか」と尋ねました。それに対する先生の答えは、次のようなものでした。

彼らがピストルの引き金を引こうとすると、黄金の玉のような光が飛んでくる。弾はそのあとから来るから、よけるのはなんでもない。それに、六人同時に撃ってるつもりでも、一度には出てこない。必ずバラバラだから、いちばん先に来るやつのところに行けばいいのだ、と。

(中略)

先生は、金の光が来てから弾が届くまですごい時間があるというんですが、見ている方にとっては、まさに一瞬にしかすぎません。先生が間合いをつめるのは、まったく見えないわけです。

~塩田剛三「合気道修行」より~

後日談「猟の名人との勝負」

このように

「ピストルの弾が当たらない」

という超人技をもつ植芝盛平翁ですが、この話には後日談があるのです。

 

 

植芝先生の噂を聞いた鉄砲撃ちの名人が、植芝先生に勝負を持ち掛けます。

この話を知ると、さらに植芝先生の凄さが垣間見れます。

 

~猟の名人との勝負~

 

この話には後日談があります。

私の知り合いで、山梨に佐藤貞次郎という猟師がいました。この人が鉄砲撃ちの名人なのです。

(中略)

ところが、この佐藤さんは百発百中で頭を射抜くのです。まさに鉄砲撃ちの名人中の名人です。

 

あるとき、私はこの佐藤さんに、植芝先生が鉄砲をよけた話をしました。

「それでもワシの鉄砲はよけられん」と、佐藤さんは自信満々です。

「人間の頭なんてこんなにデカい。ワシは山鳥の頭を撃つんじゃ。人間に当たらないわけがない」

 

そう言って、佐藤さんは先生と勝負するために山から下りてきました。

私は佐藤さんを植芝道場に連れていって、勝負をしたい由を先生に伝えました。この挑戦を先生は受けたのです。

 

道場の奥に先生が正座して座り、離れたところから佐藤さんが猟銃を構えました。私は固唾を飲んで見守っていました。

佐藤さんの指が今まさに引き金を引こうとしたときです。

 

「待て、あんたの鉄砲は当たる」と、先生が制しました。

「あんたはワシを撃ってやろうなどという気持ちがこれっぽっちもない。最初から当たるつもりで撃とうとしている。そんな人の鉄砲はよけられない。たいしたものだ。」

先生はそう言って、佐藤さんに頭を下げました。佐藤さんはほんとに喜んで、また山に戻っていきました。

~塩田剛三「合気道修行」より~

 

猟の名人との勝負の話から、具現化の極意を読み解く

いかがでしょうか。

私が大好きな植芝盛平翁の逸話を紹介させていただきました。

 

何故大好きかというと、

この話は達人同士の美しい勝負の話でありながら、

目標達成、あるいはイメージを具現化するにあたっての

本質的なことが読み取れると思うのです。

 

ポイントは2つ。

 

一つは、内面で既にそれが叶っていると、疑いようがないほどに確信していること。

もう一つは、実際に行動すること。

 

それぞれ解説してみます。

 

具現化のポイント①「内面でそれが叶っていると、疑いようがないほどに確信している」

植芝先生は、猟師の佐藤貞次郎が引き金を引こうとした時

それを制止した上でこう言いました。

 

「あんたはワシを撃ってやろうなどという気持ちがこれっぽっちもない。最初から当たるつもりで撃とうとしている。」

 

これは植芝先生が佐藤貞次郎の意識を感じ取り発した言葉です。

 

この言葉を逆手にとると

「撃ってやろう」という意識があっては弾は当てられない

 

言い換えると、

(目標を)達成しようという意識では(目標は)達成できない

という事だと思うのです。

 

「達成しよう」という意識(思考)は

目標が達成できていない時に出てくる意識です。

 

目標が達成できている時には「達成しよう」とは思いませんよね。

 

つまり「達成しよう」という意識は

内面では達成できていないと思っているからこそ出てくる思考であり、

そのままでは内面の「達成できていない」という思いが具現化し続けることになります。

 

そうではなく、内面で100%それが既に叶っていると確固たるイメージが出来た時、

その時は「達成しよう」ではなく「既に達成している」という意識になるハズなんですね。

 

 

そのような意識になった時、

引き寄せの法則によって内的世界に構築された「既に達成している状況」が現実になる訳です。

 

佐藤貞次郎は「既に植芝先生に弾を当てている」という

内的世界を完璧に創り上げていたので

それを察知した植芝先生は「この人の弾は避けられない」と判断したということになると思います。

 

具現化のポイント②「実際に行動する」

内的世界でそれが叶った状態を完璧に創り上げたとしても

結局のところ、最後は行動しないことには現実のものにはなりません。

 

これもとても大切なことです。

 

内的世界を整えるのは

氣功やエネルギーワークで何とか出来たとしても

最後の最後で行動しなければ形にはならないんですね。

 

 

植芝先生は

「待て、あんたの弾は当たる」

と佐藤貞次郎に伝え制止したことで弾が当たる現実にはなりませんでした。

 

繰り返しますが目標を達成するには

内的世界を100%整えた上で、現実的な行動をすることが不可欠です。

 

佐藤貞次郎は内的には植芝先生に弾を当てる世界を100%創り上げていたので

そのまま引き金を引く、という行動をとれば弾は植芝先生に命中していたのでしょう。

 

しかし植芝先生が直前で制止したため引き金をひくことはありませんでした。

内的世界を完璧にしただけでは具現化としては不十分と言えます。

 

具現化の極意まとめ

植芝先生と佐藤貞次郎の逸話から学べるのは

イメージを具現化するためには

 

  • 内面で既にそれが叶っていると、疑いようがないほどに確信していること。
  • 実際に行動すること。

 

この2つが揃うことがポイントだということです。

(一つだけでは叶わない)

 

だから現実を変えたい、良くしたいと思った時

瞑想や氣功、祈りだけをやってもそれは不十分です。

合わせて現実を変える行動をしなければ。

 

 

ただ内的世界で理想の世界が創られたら

どのような行動をすれば良いかは自ずと閃くハズなんですね。

 

地球は行動の星

 

とはスピリチュアルでは良く言われますが、

このことを忘れず、地に足をしっかりつけて進んで行きたいですね^^

 

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この記事を書いた人

nanmaru
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仙人に憧れる52歳

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