呼吸法 気功教室の稽古は学び反復する練習ではなく、
体力の要素を向上させるトレーニングでもない。学び反復はするが身体で捉える稽古。
呼吸法 気功教室の稽古は練習ではない。又、トレーニングでもない。練習は繰り返しながらテクニカルなレベルアップを図ることが主な目的。トレーニングは繰り返し、反復しながら、体力の要素(筋力、持久力など)を 向上させることが目的となる。 どちらも対応する身体の回路は脳、神経系だ。それは、呼吸法 気功の世界、あるいは生理学の世界では体の外側という。
これに対し、呼吸法 気功の稽古はリラックスした身体、緩んだ、気 生命エネルギーに満ちた身体をつくることが目的。対応する身体回路は腸管内臓系だ。腸管内臓系を、呼吸法 気功の世界や生理学では、体の内側と言う。 この腸管内臓系の緩みが、身体や脳の緩みに連動してフレキシブルでパワフルな身体をつくる。身体の緩みとは、気 生命エネルギーの循環のいい身体の状態を言う。呼吸法 気功の稽古で、身体が緩めば緩むほど、身体の気 生命エネルギーの循環は向上していく。その、「身体の緩み」を学ぶ場が、呼吸法 気功教室なのだ。
「基本動作」は気 生命エネルギーを身体に巡らし、身体を緩める稽古。 気 生命エネルギーの交流「練気」は身体の生命エネルギーを交流する事により、身体を緩める稽古。(身体の細胞中のミトコンドリアの活性を高めることが証明され
ている。)

メンタル(精神的)なストレスも呼吸法 気功で さようなら。
身体は自然の一部として存在している。生きる営みを続けることは、生きた身体の特権だ。そして、それを実現するには身体内部、外部の環境が大事だ。
身体内部の環境とは、身体の再生がされる内部環境ということ。私達の身体は60兆という途方もない数の細胞によって構成されている。その細胞は約300種類の機能を分担して、様々な組織や臓器を形成している。さらに、その組織や臓器は古くなれば再生される。再生される為の情報が一つ一つ、の細胞のなかにある。だから、古くなっても、生存出来る期間であれば、再生が可能だ。そして、生きているということは、細胞が再生されるプロセスだ。だから、生き続けられる。
このプロセスで身体は基本的に誤るということはしない。身体の「生きる営み」は外部環境に余程の変動がなければ、再生してくる細胞は再生前の細胞より少しだけ老化(古くなる)した細胞だ。そして、身体は少しずつ老化しつつ、依然とほぼ同じ機能を発揮し続ける。
一方、メンタルはと言うと昔から、心(こころ)の由来に代表されるようにころ ころと変わるので,ころ ころが心ということばになった。
これは昨日、今日始まったことではなく、私達がこのスタイルの身体を持つ事になったことによる。
残念ながら頭脳は洗練されてない!
こんなこと当たり前じゃないか!と言われる方も多いと思う。その通り!なのだ。
先ず、経験的に、良いことが続く、そうするとだんだん大ざっぱになってくる。得意に成ってくる人もいるだろう。
逆に上手く行かない事が続く、だんだん、元気だったはずが、意気消沈してくる。これでいいのか?疑いぶかくなる。得意だった自分がどこかにいってしまう。
こんな事、経験したり、よく見かけたりする良くある話。
そして、さらに、悲しいことばかり経験していると、誰が見ても悲しそうな顔になってしまっている人。
怒ってばかり居る人は怒った様な顔になってしまう。ここまで来なくても、それらしい人になってしまった人、沢山、目撃している方も多いと思う。
悲しい、怒りはわかりやすいが、今の時代、どうして、生きて良いのやらわからない!と、言いようのない不安を抱えた人の何と多いことか!
前置きはこのくらいにして、「あなたはあなたの考えた結果だ。」(あなたはあなたの経験したメンタルの結果だ)というのは正しいと思う。
私達の脳の働きで精神的は脳の働きを説明する手法が登場して、30年を超えるように記憶しているが、私達の精神な現象は実際は、もっと身体的なのだ。
人生様々なことが待っている。その時経験した大きな情動の表れはその時だけでなく、その時以降、身体に蓄積される。様々なストレスが身体に蓄積される。そして、その人独特の個性ともなる。
どこに、蓄積したストレスは現れるか?
背中上部には情動のあまり含まれない、ストレスが蓄積される。
胸には、情動のハッキリしたストレス、寂しさ、悲しみ、いかり、などが蓄積される。
さらに、腰には「生きる営み」がらみの縄張り等や、仕事がらみのストレスが蓄積される。
私達の思考は本来、脳と、背中、胸、腰との連絡で成り立っている。決して、脳、単独での働きではないのだ。
そして、この過去に蓄積したストレスが自己の一部とし生き続ける。だから、大きなストレスは自己(身体の自分)だけでなく、自我(頭の自分)にも影響を与えながら人生は展開する。そして、身体が持ちきれなければ、邪念となっていつも脳裏をかすめたり、発病したり、不定愁訴となってストレスの放出モードとなる。
こんな、蓄積されたストレスに多かれ、少なかれ影響されながらの思考。(頭の考えである。)ころ ころと変わり、あまり、頼りにならないことも多いだろう。
思考もストレスを蓄積した身体ではなかなか、良い結論は出ないだろう。それは、思考も、自分のストレス色に染まってしまうから。ところが、自分ではどうにもならないストレスをコントロールする方法論がある。私達の呼吸法 気功だ。稽古が進み身体のバランスがとれてくると、メンタルな景色も大部、変わってくる。
私達の呼吸法 気功で稽古で身体にたまったストレスが減って心身のバランスが取れてくると、こんな寂しい、自分色の不自由な思考から、本来の自分の自己の思考が現れてくる。もっと自由に!一度限りの人生だから!