気 呼吸法 気功研究会と廣川隆志 フレキシブルでパワフルな身体・慢性病の回復を!
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こんなことあったよ!!
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若き日のアインシュタイン こんなことあったよ!?

若さ、偶然、必然、 そして 不思議。

私達の、呼吸法 気功は私達の生きた現実に強力に作用します。それは、気 生命エネルギーのなせる技、そして、生きた現実には、不思議も沢山あります。現代科学がニュートン力学の綻(ほころび)に気づき、その、ほころびの一端を修正した立役者、アインシュタインは、「不思議がないような人生は、死んだも同然。」と言っています。

皆さん、不思議に出会っていますか?偶然の必然や感動に沢山、出会ってますか? 若さはありますか? 若さ、感動の向こうに、偶然、必然、そして、不思議が見え、隠れしています。

気 生命エネルギーの循環が呼吸法 気功で増えると、身体が元気になる、元気になると言うことは、「感じて、動く」力がついてくる。つまり、若さが蘇る。「感動」とは感じて動く、力の現れ、感動は手放さず、偶然の必然に沢山、出会えるほど、人生は豊かになります。呼吸法 気功教室でエネルギー循環の良い身体をつくると偶然の必然とも沢山、出会える様になる。呼吸法 気功研究会の気の稽古場、呼吸法 気功療法(気の施術所)は、群馬県総合スポーツセンター(群馬県前橋市)、(高崎市武道館)を中心に開催しております

呼吸法 気功療法は不調や病気の状態、ご本人の希望によって導入のプログラムが一律ではありません。回復のため、身体にエネルギーを与えることは大変重要ですが、ある程度回復したら、自らの、身体の生命エネルギー循環を促進する身体の動きも大切になります。また、人間は人の間と書くように、人との出会いの中で向上するものです。身体が動くことが、自然に出来る様になったら、呼吸法 気功療法としての稽古、施術も気の稽古場で行ってください。回復へ向かう自分という主体が少しずつ芽生えてきます。「自分軸」は不調・慢性病の克服にとって行動を支えるという意味で大切です。

気 呼吸法 気功」研究会メンバーのこんなことがあったよ!? こんなことあったよ!?

1)自分にエネルギーがあると、自分のこともうまく運べるし、 他人のためにも考えたり、行動できたり!の巻。
   Mさん 50歳代 群馬県前橋市在住 公立小学校校長

 呼吸法研究会に入会して6年3ヶ月になります。入会したときは、自分は体も心も何の 問題もない、と思っていましたが、やがて「問題大おり」だった自分に気付かされていき ます。 1ヶ月目に首が回らなくなり、1年田こ子宮頚がんになりかかりました。廣川先生 に「かなり強いマイナスエネルギー(ストレス)が出ている」と言われ、自分の生きてきた環境や受け たダメージ、蓄積したストレスを考えると、我が身がかわいそうにもなりました。この体 の変調は、呼吸法を始めたことによって体が出口を得、今までため込んだ物を排出しよう としているのだと思いました。長い苦しい時期がありましたが呼吸法に通うことで乗り越 え、今振り返ってみれば心身ともにとても元気に変わった自分に驚きます。  

 例えば、昨年はこんな様子でした。  仕事面では、市町村合併で村から市になり、全く知らない大きな組織の中で仕事をする ことになりました。一つ一つ全てが新しく、分からないことの山です。学校でワンポスト の私か「分からない」では事が進まないので、何とかしていくわけですが、精神的にも体 力的にも結構大変だったと思います。実際大変だったのですが、そこに、そんなに大変と も感じていない自分がいました。  
 
 家庭生活では、義父母、単身赴任の夫、娘の5人暮らしでしたが、義父が長い闘病生活 の末、6月に亡くなりました。最後の1年間は、入退院を繰り返し、何度夜中に救急車に 乗ったか数えきれません。退院する毎に衰弱し、終いにはトイレに行くのも大変になった 義父の様子に、私は仕事を辞めて看病しなければならないのだろうか、長く入院させてく れる病院はないだろうかと考え込みました。仕事は、私にとってとても大切なこと、仕事 が楽しいから、義父母との暮らしも過ごしてこられたので、辞めるのは嫌でした。そんな ことを悩んでいるところに主治医から、義父はもう自宅には戻れない状態になっているこ とを知らされ、それから1ヶ月で義父は息を引き取りました。最期は、夫と交替で病院に 泊まり、義母が家にいるので家のこともし、仕事にも行くという日が続きました。最期は ずっと義父のそばについて、手を握っていてやることが出来ました。そして葬儀、それに 伴う諸々のことが次々とありました。大変だったのですが、渦中もそれが過ぎてからも、 やはり、あまり大変さを感じていませんでした。

 このように、身体的にも精神的にもたくましくなったと感じます。呼吸法を始める前は、 いつも一人になると、考えても仕方のない、考えない方がよいことをぐるぐると考え続け ていたのですが、いつの間にかそういうことがなくなり、本当に楽になりました。「自分 にエネルギーがあると、自分のこともうまく運べるし、他人のためにも考えたり、行動出 来たりする。」と先生から伺ったことが、自分の体験を通して少しずつ実感できるように なりました。
 
 それから人間ドッグでの事です。呼吸法気功研究会入会以来、毎年人間ドッグの数値が良い方に変わっています。年を重ねると悪くなる数値が多いのに、逆に毎年良くなっている項目が多いのには、私だけでなく、夫も担当医も不思議だと言っています。心身共に元気になりながら年齢を重ねられる事を大変、楽しい事と感じている今日この頃です。

2010年5月

気 呼吸法 気功」研究会メンバーのこんなことがあったよ!? こんなことあったよ!?

(2)ハイビスカスの花  花咲おじさん誕生!の巻。 Hさん 50歳代 群馬県前橋市在住 公務員

私は、呼吸法 気功研究会の呼吸法の教室の通い始めた年の4月に異動で今の職場にまいりました。職場の私の椅子のそばにはハイビスカスの鉢植えがありました。でも花の咲く様子は特になく一年近くが過ぎようとしていました。それが二月に、突然蕾がついて、それは徐々に大きくなり、ある日赤い鮮やかな花が咲いたのです。職場の皆さんに、この花は良く咲くのですか?と聞いてみましたが、皆さん、最近はしばらく咲いてなかったよね、と言うのです。それからというもの、ずっと続けて花が咲くようになり、職場の人たちも喜んで、栄養をあげたり、良く世話をしてくれるようになり、皆で花の咲くのを楽しみにするようになりました。部屋の温度も条件も変わらないのに、少なくとも私が来てから一年近く咲かなかった花が、一度咲いたら毎月のように咲くようになったのです。

二月というのは呼吸法 気功教室に通い始めて半年くらいたったころでしたが、そのころから身体もとても元気になって来た時期でした。自分でも家で出来るだけ呼吸法の教室で習った事を稽古をするように心がけていましたが、稽古場で気の交流をしていて、いつもよい気を受けているせいかもしれないと思い、もしかしたら気の影響があるのかなと花の咲くのを楽しんでいました。

そうしているうちに、三年後職場を異動になり、ハイビスカスともお別れすることになりました。しかし、その後また、縁あって今の職場に戻ってまいりました。でも、その間に木にアブラムシがついてしまい、元気がなくなっていたため、職場の方が家に持ち帰り、面倒を見ていただいていたことがあとでわかりました。しかし、ようやくその方が、一年後に職場に持ってきてくれました。

一時は枯れそうだったとのことですが、良く面倒を見ていただき、何とか持ち直していました。しかし、以前と比べると大分元気がなくなっていたのです。それで、私のすぐ近くに置かせてもらうことにして、毎日、早く元気になるようにと思いながら見ていました。

そうすると、一ヶ月もしないうちに、木は見る見るうちに元気になり、大きな蕾が二つついて、以前にも増して 大きなきれいな花が咲きました。また葉も青々として大きく、色つやもとても良くなりました。

呼吸法 気功教室に通い始めてからもうすぐ5年になろうとしています。私は今年で57歳になりましたが、呼吸法 気功教室に通い始めた頃より身体がとても元気になりました。そして、自分の身体への信頼感は年を追うごとに大きくなっています。こんな気持ちは以前は持てませんでしたが、今は呼吸法 気功教室で身体が元気になったため、将来に対する希望、楽しみもとても大きくなっています。

鮮やかな花を咲かせ、青々とした葉をたくさんつけたハイビスカスの木は、こうした私の気持ちを裏付けてくれるように今日も私のとなりで元気にしています。

花咲おじさんHさんのパワーで咲かせたハイビスカスの花

花咲おじさんHさんのパワーで咲かせた
ハイビスカスの花です。

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(3)Yさんの痛かったけれど 大丈夫だった話 Yさん 群馬県前橋市在住 もうすぐ80歳 元小学校教諭 

私はこの呼吸法 気功教室に通い初めてこの春(平成19年現在)で4年になります。 去年の12月、呼吸法 気功教室の帰り道、夕方の暗がりで、上から3段目までしか、仕上がっていない、階段の4だんめを踏んでしまいました。下がアスファルト舗装の約80センチの高さから前のめりに転落し、気絶し、大怪我をしてしまいました。息が吸えない状態で、我に返り、整形外科に連れて行ってもらいました、胸部、腹部、上肢、下肢、手首とレントゲンを撮りましたが、骨折はありませんでした。担当医から「年齢からいっても、転落状況からいっても、骨折や内臓破裂がないのは奇跡だ。なにかやっているのか?」と聞かれました。「呼吸法 気功をやっています。」と答えたら、納得のいかない様子で、うなずいていました。
首から上以外、全身打撲、内出血で黒紫のアザが、入れ墨状態で、関節部分は、特にひどい浮腫、全身が激痛で引きつり、身の置き場のない、地獄の苦しみを味わいました。そして4日後、やっとの思いで、呼吸法の教室の先生に電話をし、ぐんま武道館の道場に息子に連れていってもらいました。稽古は出来る状態ではないので、通気をしてもらい、年明けからは、痛み止めを飲みながら、呼吸法(気功)の稽古のある日は毎日、呼吸法の稽古に通いました。そして、怪我から1ヵ月が経過する頃、知人が私の大怪我を知ってお見舞いに来てくれましたが、腰が少し痛む位で、後はすでに回復していました。 私の友人が、公園を散歩していて足を障害物に引っかけ、転倒し、3ヶ月を経過したのに、まだ歩けずにいることと、比較すると、こんなに早く回復できたのは、呼吸法 気功教室のおかげで、身体の細胞の再生の力が、高まった為ではないかと思います。 
そして、こんなこともありました。この怪我のさらに4ヶ月くらい前、テレビを見ながら、ハサミで焼き海苔をきざんでいたら、テレビに気をとられ、ハサミで、左手の指先を切ってしまいました。すぐに救急バンを貼り、家事を続けました。入浴後に貼り替えをと思い、救急バンをはがしたところ、傷口はすでについていました。そして、翌日、もう一度、傷口を見たら、傷口は、きれいに治っていました。 この年齢でケガをすると治るのに時間がかかるのに、呼吸法 気功教室に通う様になってから、ケガの治りも早くなった様です。
以上、痛くて、不思な体験でしたが、呼吸法 気功教室のおかげでの身体の変化だと思います。 今後、この不思議さが納得できるよう、呼吸法(気功)の稽古に励んでゆきたいと思います。勿論、痛い目には、遭わないで楽しく呼吸法 気功 教室の稽古をしながらです。

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(4) 若返った? 私のこと解らない!?群馬県前橋市在住、50歳代  NPO法人Jコミュニケーション 代表 高橋希世乃さんHP http://npo-jcom.com/

私がこの呼吸法教室に入ったのは2005年でした。水戸黄門で有名なあの女優さんのようになれることを願い、4月に体験教室に行きました。 初めの一年くらいは、先輩の人たちが先生と気の交流「練気」をすると思わず笑ったり走りだしたりするのを、不思議な気持ちで見ていました。 ある日、いつかは忘れましたが、いつもと違い狭い部屋で教室がありました。いつもの広い部屋が取れなかったのでしょうか。それはわかりませんが、その時の気の交流「練気」で、おへそというかお腹の内側が暖かくなるのを感じました。 なんか違うのかな、と思うようになったのはそのころからかもしれません。現在は毎回、呼吸法の教室で「練気」のたびに「楽しい・楽しい・楽しい」と叫びながら走りまわっています。いつも家ではあまり言いたいことも言わず、聞いていることが多いので、その反動でしょうか、自分でも驚くほど、教室ではおしゃべりになり、自分の口をふさぐことができず、「たのしい・たのしい・たのし〜〜〜〜〜い」と騒いでいます。

呼吸法 気功を始めて、最近あったおもしろいことを一つ。 近所のおじさんと久しぶりに会いました。私が仕事に通っていた時、いつも散歩しているそのおじさんに会い、挨拶を交わしていましたが、私が仕事を辞めたので、すぐ近所なのに、ほとんど顔を合わせることがありませんでした。そのおじさんが広報を持ってきたのです。久しぶりに顔をあわせました。が、どうやらそのおじさん、私のことがわからないらしい。私の顔を何度も見ては、「ここの奥さんですよね。」と私に聞きます。私は「はい、そうです。」と答えましたが、不思議そうに私の顔を何度も見返していました。そして「○○会社にお勤めの○○さんの奥さんですよね~」と再び尋ねる。「はいそうですよ!」と私。しかし腑に落ちないのか「すこしお年を召した方がいらっしゃいましたが・・・ ・」と聞いてきた。「はい、はい、それです、それが私です。」と私。呼吸法 気功教室に通って若くなったのか? はてさて、このおじさん、私が若返ったのでわからなかったのでしょうか。どう思って私のことを見ていたのかは確かめようがありませんが、面白い出来事でした。

呼吸法 気功を初めて、「もう一つ、おまけ、昨年なぜか日本語教室を個人から、NPO法人にしたところ、今年になって群馬県から仕事の依頼がありました。そして、自分の教室も忙しくなってきました。なぜかわかりませんが。良い展開です。」

気 呼吸法 気功」研究会メンバーのこんなことがあったよ!? こんなことあったよ!?

(5) ある日仕事でダムの道を運転していたら・・・・。 群馬県高崎市在住 50歳代 呼吸法2年目 Kさん 会社員

私は呼吸法 気功教室に通い始めて、2年目の営業ウーマンです。この日は群馬県内の西部の田舎のお客さまへの訪問をする為。神流川の上流に向かっていた時のことです。ドライブをしながら、神流川の下久保ダムにさしかかる頃のことです。

運転の少し乱暴のオートバイが私の車の脇を追い抜いて行きました。私はあぶないな!と思いながら、走行を続けました。だんだん、二車線の道路の幅が狭まってきまして、追い抜いていったオートバイが私の車の直前を走る場面が多くなって来ました。オートバイと出会って、二つ目の信号待ちの時、なんとなく、この、オートバイの直後を走るのが、いやで車間をあけて走りたくなりました。

それから、5分位走ったころ、オートバイも私の車も下久保ダムの上を走っていました。この道は、大分、ジグザグで先の見通しが大変悪いところです。何を間違ったか、こんな、見とおしの悪いところで、先を走っていたオートバイがエンジンをふかし、スピードを上げて、走り出しました。オートバイが見えなくなったところで、大きな衝突音がしました。まず、目に入ったのが、大型トラックにはねられて私の車の直前まで飛んで来たオートバイ、そして、そのあと、オートバイを運転していた、オートバイのドライバーが、飛んで来ました。

私は車を道路わきに止めて、救急車の手配やら、道路中央の横たわっているオートバイを何人かの、この事故に居合わせた人たちと共に、道路わきに移動したり、と対応に追われました。オートバイの運転主は意識が戻らないまま、グッタリしていました。とりあえずの私の出来る処置が終わったところで、この事故のことを見ているドライバーが私の他に、二人居たので、お客さんとの約束があることをこの二人の方に告げると、「後のことは、私たちがやるから、行きなさい。」と言ってくれましたので、この、事故の現場をあとに、お客さんのところに向かいました。

でも、本当に良かったと思います。あの、信号機のところで、オートバイとの車間を開けることを、もし、していなかったら、私の直前まで、勢いよく飛んで来たオートバイとドライバーを私はひいてしまったところでした。それを、考えたとき、背筋がゾーとそました。この、紙一重の現実、どっちに振れるか?大きな選択でしたが、私の無意識がオートバイと車間を開けるよう、し向けたのが、最後の信号機のところで解りました。これって「生きる営み?」かと呼吸法 気功教室の廣川隆志先生に報告方々うかがったら、「自分の命を守るのも、自分の命に関わる命を大切にするのも、身体の生きる営みですよ。」といってくださいました。

こんな事を経験して、いつも、折を見て呼吸法 気功教室で先生が話されている「身体の知」の内の自己を守る働きが私の中で息づいていることに出会えて少しホットしました。呼吸法 気功教室の廣川隆志先生、これからもよろしくお願いします。

気 呼吸法 気功」研究会メンバーのこんなことがあったよ!? 金子さん

(6) 高さ3mのロフトから転落、全治7ヶ月の診断が 2ヶ月弱で退院!呼吸法ってスゴイの巻。 群馬県 前橋市在住 団体職員 Kさん。

平成5年11月私は、仕事での作業中3mの高さからのロフトから、はしごが外れ、転落してしまいました。 手で押さえるスタイルの簡易はしごでしたので、スルスルと滑ってロフトから外れ、何故か、落下しながら、はしごの枠にお尻がスッポリと挟まった状態で転落しました。 その時、はしごの丸太で腰椎を強打し、身体に激痛が走り、悲鳴とうめき声が、部屋中に響き渡りました。

救急病院へ搬送され、診断結果は、腰椎の四番が粉々に砕け、あと、1mmで神経を傷つける状態でした。 医師から、足にしびれが出たら手術を行う旨を告げられましたが、私は、救急車の中で、痛みをこらえながら、呼吸法 気功の全身呼吸をやってみたら、「ああ、呼吸が通る 大丈夫!」という不思議な安堵感がありましたので、自然治癒で行こうと、心が決まりました。

入院中は、週に2度ほど、呼吸法 気功教室の廣川先生に病院へ来ていただき、外気療法を受けました。絶対安静で身体を動かす事も出来ない状態にもかかわらず、毎日、快食、快便で、便秘知らずの、毎日でした。腰椎下部を傷めると、便秘や下痢に悩まされる人が多いのに、これも呼吸法 気功のおかげか?と思いました。 入院時には、体を、動かすことが出来なかったのに、いつも快便で、また、体が、ポカポカと温かった事も不思議でした。

怪我は全治7ヶ月の診断が下されましたが、回復も非常に順調で、50日(二ヶ月弱)で退院し、他の病院へリハビリ入院が決まっていましたが、そのまま、退院し仕事に復帰し、ギブスと杖を使い、呼吸法 気功教室の稽古にも復帰しました。

退院当時、腰を反らすことも出来なかった背骨も今では、私なりのイナバウアーが出来るまでに快復致しました。退院後六ヶ月で、金比羅様の階段を自分の足で上まで、上がることが出来。一年半後には、スペイン旅行にも行くことができました。命を失っても不思議でない高さからの、転落事故だったのに、呼吸法 気功教室の廣川隆志先生本当にありがとうございます。

ここまで、回復するには、痛みとの闘いでしたが、私の経験させていただいた、「驚異的な怪我の快復力」は気 生命エネルギーの力が大きく働いた結果だと思います。 これからも稽古を積み、さらに、体の若さを蘇らせて行きたいと思っています。 この、呼吸法教室との出会いを感謝しております。

気 呼吸法 気功」研究会メンバーのこんなことがあったよ!? 関口清子さん

(7) 稽古歴7年目、週2〜3回の教室での稽古と日々の稽古を通じて、
還暦(60歳)の記念に撮った写真に自ら変動している関口清子さん!の巻

 還暦を迎えて、もしかしたら元気な60代が過ごせるかもしれない!!
そのような気持ちがふつふつと沸いてきました。

 2004年の入会する頃、40代に入った頃から調子の悪かった私の体は、後半に更年期障害の強さも加わり、悲鳴を上げていた。体が、心が、とくに感情がコントロールできない。日常的な冷え、朝目覚めの時の体の強張り、ベッドの下のどころか、地中にまで沈み込むような重い体と心、「この体で生きていかなければならないのか・・・」と思う不安感と恐怖、強迫感から突き上げてくる動悸、便秘とお腹の膨張感、胸の痛みに加え、背中の熱い鉄板が敷きつめられたような痛み、人に呼ばれて振り返る事も出来なかったし、車の運転は危険だった。痩せと風邪は私の専門特許のようにもなっていた。体は疲れ、私の心は泣いていて「死にたい!」とさえ思えた。あらゆる啓蒙書を読んでも効果はなかった。しかし、今までの生き方を考え直し大きく舵を切らなければならないと思えた。

 そんなところに出会ったのが、西野流呼吸法をベースにしている呼吸法を広めている、廣川先生の呼吸法気功研究会だった。「自分を救いたい!」そんな思いで入会したのだ。そして見てください!この写真!!呼吸法を始めて7年目を迎えようとする私の還暦記念の写真。この立ち姿とこの笑顔!!・・・乗り越えることができた。前向きな明るい私が生まれたのです。初めての呼吸法は戸惑いの多いものだった。基本の華松はくり返しの緩やかな動きのせいか、想念が行きかい「今」に集中する難しさを感じた。後半の練気は、決してオカルトではないと感じていたが、かなり変なものに見えた。人が気で「飛ぶ??」などどうしても説明がつかない・・・。私の場合は溜めこんだストレスが多いせいか進みは遅かった。練気では一年も体が動かず、4年間も先生との練気は片手だけであった。が、稽古が終ってみると体が「ふわぁ〜。」と軽くなっているのである。やがて、週一回が二回になり、三回行くようになる。その間に起こる体の不思議に枚挙のいとまもないが、その有様は体についた余分なものを一つ一つ剥がしていくようだった。とくに昨年は、痩せ(160cm、45kg)の私が[糖尿病」になったが、20日間で治ったり、また、紙コップ半杯のドロドロの血尿には驚いた。病気で起きたものだったら救急車に来てもらう程のことだったろう。それがなんの痛みもなく半日で血尿は消えた。 近頃では、体の改善のために起る体の状態がわかるような感じがする。三年前の父の自死のショックを乗り越えられたのも、呼吸法をしていたおかげだった。父親違いの家族で育ち、この15年間で姉と父の二人の自死、脳梗塞で倒れた母の死を経験している。
私は・・・というと、家族というものに憧れを持つものの、その痛みの方が強く当時は結婚することが当たり前とされていた世の中だったが、無謀にも教育もなしに好きな絵で、独りで生きて行こうとしていた。自信があるわけではないので、常に迷いは大きかったし、社会の軋轢は強かった。そんなこんなの集積の結果の心身だった。

 「なにがなんでも元気にならなければならない!」・・・根気強く稽古を続けていくうちに、近頃では、先生との練気で弾けて暴れまわるほどになった。肺活量が多くなったのか胸が拡がったような気がする。今までの口呼吸に対する廣川先生からの注意も有難かった。未だに口呼吸が治っていないため、仮眠の時でさえテープを貼っているが、風邪はほとんど引かなくなった。お腹の膨張感や背中の痛みはまだ続いているが、少なくなってきている。朝の目覚めは気持ち良くなり、眠りは深く、食事はおいしく、姿勢は美しく、動ける体になる。しかも60歳からやりたいことの希望が持てるなんて・・・!もしかしたら・・・!を確実のものにしたいものだ。
 
 病気を治そうと来ている人は徐々に良くなっていくようだし、会員の方々を見ていると、一年もすると必ず背筋が伸び、女性は胴がはっきりとし、やわらかく美しい形になる。そして心が元気になっていく。 呼吸法は、体の内部に直接作用する効果の高い動きだと認識した。あたりまえにしている呼吸がこんなに深い意味を持つなんて・・・。有難いと思うと同時に、後半の人生の大きな新しい発見でもありました。
 この写真は、50〜60歳過ぎの自分を暗い気持ちで見ていた私に「老いは元気だ」と未来を明るくさせてくれる。この立ち姿、廣川先生に、励まして下さる会員の皆様に、今の元気を「ありがとう」と感謝している毎日です。

2010年6月3日   1950年6月20日生まれ     
                                                       美術家 絵画教室主宰 関口清子さん

こんなことあったよ!?